武節城址 (ぶせつじょうし)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
本丸跡内の武節城址碑 道の駅から城址を見上げる

<所在地> 豊田市武節町 (名鉄三河線猿投駅下車,とよたおいでんバスさなげ・足助線百年草行き足助下車,とよたおいでんバス稲武・足助線どんぐりの湯前行きどんぐりの湯前下車,徒歩約10分)
<概要>
 この城は,名倉川を臨む断崖上にあり,段戸山系に続く尾根の先端を掘り切って男山とし,これに主たる郭4,従たる小郭10数箇所を配した郡内では有数の平山城である。 麓には関屋,古町屋(市場),姫井戸など当寺からの地名が残っている。
 一名地伏城(じぶせじょう)とも呼ばれるこの城は,田峯の菅沼定信(すがぬまさだのぶ)の支城として築かれ,菅沼十郎(ずがぬまじゅうろう)などの城代が置かれた。 1556年(弘治2)には,下条信氏の侵略を受けて激戦があった。また、1571年(元亀2),武田信玄の三河侵入のときは本城である田峯とともに戦わずしてその軍門にくだった。 1575年(天正3),長篠の戦いで大敗した武田勝頼は,この城で梅酢湯を飲み甲州に帰ったと伝えられている。その後,酒井忠次(さかいただつぐ)に攻略され、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の領に加えられたが,1590年(天正18), 徳川家康の関東移封とともに廃城となった。
<学習のポイント>
 城の立地条件や造りを調べ,当時の戦いの在り方や戦国時代の状況を考えてみよう。
 また,長篠の戦いで大敗後,勝頼はどのような気持ちでこの地で休んだのかを考えてみよう。
<見学のポイント>
 道の駅からトンネルのある山を見上げると,武節城址の看板が見える。山頂の城址碑の前に大きな駐車場があるので車で行くこともできるが,道の駅から歩いて15分程度なので, 歩いて登りたい。途中曲輪の跡には,看板が立っている。山頂の武節城址碑横に,解説の看板がある。
<参考資料>
 「ふるさと稲武」稲武町教育委員会
  いなぶ観光協会ホームページ http://www.inabukankou.com

<問い合わせ先・ホームページ>
  いなぶ観光協会 0536-86-3200 http://www.inabukankou.com

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