知立神社(ちりゅうじんじゃ)  <時代>平安時代  <地域>西三河
知立神社 拝殿 知立神社 多宝塔(国重文)

<所在地>  知立市西町神田12(名鉄名古屋本線知立駅下車,徒歩10分
<概要>
 知立神社は,三河国の二の宮「池鯉鮒大明神」(ちりふだいみゅうじん)と称され,江戸時代には,東海道三社の一つに加えられた名社である。地域の人々の間では,古くからマムシよけ,安産,雨乞いの神として信仰を集めている。社伝によれば,始まりは,第12代景行(けいこう)天皇の時代とされている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の折,この地で神々に平定の成功をお祈りしたところ,そのつとめを無事に果たすことができ,鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと),神武天皇などの4柱(よはしら)の神をまつることにしたのが始まりであるという。造営は,第14代仲哀(ちゅうあい)天皇のときであるという説もある。なお,国史上においては,「日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)」の851年(仁寿元)10月7日の条に初めて記述が登場する。
 境内に建てられている「多宝塔」は,国の重要文化財であり,古額,舞楽面,能面等は県指定の文化財になっている。また,神社外苑にある「知立公園」の花しょうぶは,明治神宮から特別にいただいた花しょうぶで,6月の花しょうぶまつりには,3万株の色とりどりの花が美しく咲き,訪れる人々の目を楽しませている。
 毎年,5月2日・3日には,例祭である「知立まつり」が行われ,2年に1度の本祭では,豪華絢爛(ごうかけんらん)な山車(だし)5台が町内で引きまわされる。この時演じられる山車文楽(だしぶんらく)とからくりも国の指定重要無形民俗文化財として今なお受け継がれている。
<学習のポイント>
 三河・尾張の国の一の宮,二の宮,三の宮はそれぞれどこだろうか調べてみよう。また,知立神社とともに知立の町がどのように栄えていったか調べてみよう。
<参考資料>
 略記「知立神社」
 東海の名社「知立神社参拝のしおり」

<問い合わせ先>
 知立神社  0566-81-0055

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