新家 寛(にいのみひろし)
−北浜悪水を開き、学校づくりに励んだ町長−
<時代>
大正時代
<地域>
西三河
新家 寛
北浜川(上矢田町)
<関係地>
愛知県立鶴城丘(かくじょうがおか)高等学校(旧愛知県立西尾実業高等学校)
西尾市亀沢町300 (名鉄西尾線西尾駅下車徒歩15分)
愛知県立西尾高等学校
西尾市桜町奥新田2-2 (名鉄西尾線桜町前駅下車徒歩10分)
<業績>
新家寛は1853年(嘉永6)西尾藩平島の中川家に長男として生まれた。長男ではあったが新家家の二女せいと結婚した。
寛は、西尾に低湿地が多く農業の発展を妨げている状況を改善したいと考え、排水路を作ることを計画した。排水路が完成すると、その周りの湿田は乾田になり農業の発展に大いに貢献した。このような姿が支持され、1914年(大正3)には西尾町長に選ばれた。
その後、学校誘致運動を思い立ち
岩瀬弥助
や鳥山伝兵衛らと協力して働きかけ、1918年(大正7)には西尾町立高等女学校の設立が認められた。1919年には県立西尾蚕糸学校(現県立鶴城丘高等学校)、さらに1926年(昭和元)には西尾中学校(現県立西尾高等学校)が開校された。また,西尾の町づくりにも大きなかかわりをもち、西尾駅移転のために町長として尽力した。
<年譜>
1853年(嘉永6) 西尾藩平島の中川家に長男として生まれた
1914年(大正3) 西尾町長に選出される
1918年(大正7) 西尾町立高等女学校の設立が認められる
1919年(大正8) 県立西尾蚕糸学校の設立が認められる
1922年(大正11) 再び中学校設置運動を始める
1926年(昭和元) 西尾中学校の開校式が行われる
1929年(昭和4) 町長職を去る
1934年(昭和9) 82歳で没
<学習のポイント>
学校づくりから町がどのように発展していっただろう。
<参考資料>
「三河人物散歩」 愛知県教育文化振興会
郷土読本「西尾」 西尾市教育委員会
「西尾の人物誌」 西尾市教育委員会
<問い合わせ先>
西尾市教育委員会事務局文化振興課 0563−56−2459
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