松本 奎堂(まつもとけいどう)  −天誅組を結成−  <時代>江戸時代  <地域>西三河
松本奎堂歌碑(亀城公園) 松本奎堂歌碑地図

<関係地>刈谷市亀城公園   刈谷市司町2丁目 (名鉄三河線刈谷市駅下車,徒歩5分)
<業績>
  松本奎堂は,1831年(天保2)現在の刈谷市に生まれた。小さいころから学問に励み,記憶力に優れていた。17歳のとき,武術のけいこ中に左目を失明する。20歳のとき,昌平黌(校)(江戸にある幕府の学問所)に入学する。その後,塾を退学し京都に出て,討幕運動を始める。
  1863年(文久3)8月14日に天皇の大和行幸(やまとぎょうこう)を機に土佐藩の吉村寅太郎(よしむらとらたろう)らと天誅組(てんちゅうぐみ)を結成し総裁となり,38名の同志とともに倒幕のため挙兵した。9月25日,幕府の大軍に囲まれ,奎堂以下多くの天誅組の志士が,奈良県の東吉野村山中で死んだ。
<年譜>
1831年(天保 2) 現在の刈谷市に生まれる
1848年(嘉永元) 武術のけいこ中,左目を失明する
1852年(嘉永 5) 昌平校に入学する
1857年(安政 4) 昌平校の舎長となる
1858年(安政 5) 退学して京都に出る
1863年(文久 3) 天誅組を結成し,倒幕のため挙兵し,31歳で没

<学習のポイント>
  松本奎堂の生涯に大きな影響を与えた,安政の大獄や桜田門外の変について調べてみるとよい。また,天誅組の挙兵が倒幕運動にどのような影響を与えたか考えてみる。
<見学のポイント>
  刈谷市城町にある亀城公園に松本奎堂の歌碑があり,亀城公園の近くに刈谷市郷土資料館がある。
<参考資料>
  「愛知に輝く人々6」
  森銑三「松本奎堂」

<問い合わせ先>
  刈谷市教育委員会文化振興課 0566-62-1037

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