大給 恒(おぎゅうゆずる) −博愛社の創設者− <時代>江戸・明治時代  <地域>西三河
大給恒(奥殿陣屋蔵) 奥殿陣屋

<関係地> 奥殿陣屋 岡崎市奥殿町 (名鉄名古屋本線東岡崎駅下車 名鉄バス奥殿陣屋下車徒歩1分)
<業績>
 1839年(天保 10)に,第10代奥殿藩藩主乗利の次男として生まれ,14歳にして奥殿藩藩主となる。飢饉の時に領民に「お救い米」を配給して,餓死者を一人も出さなかったという伝えがある。1863年(文久3)に,田野口藩(現長野県南佐久郡臼田町)に国替を行った。この時、奥殿の領民たちから慕われていた乗謨が奥殿の地を去ることに反対し、領民たちが反対の嘆願書を提出している。明治維新後,元老院議官となり,1869年(明治2)に,それまで大給乗謨(おぎゅうのりかた)と名乗っていたが,改名して乗謨恒(のりかたゆずる)となる。以後,大給恒と呼ばれるようになる。その後,西南戦争の様子を聞き,国際赤十字社に倣って,佐野常民(さのつねたみ)と共に博愛社を創設し,大給恒は副社長に就任して,敵味方の区別なく,けが人や病人の救護を行った。博愛社は現在の日本赤十字社の前身である。
<年譜>
1839年(天保 10)
1853年(嘉永 5) 
1863年(文久 3) 
1869年(明治 2) 
1877年(明治 9) 
1878年(明治 10)
1887年(明治 20)
1910年(明治 43)
東京麻布の奥殿藩邸で誕生
奥殿藩第11代藩主となる
奥殿藩から田野口藩に国替する
大給乗謨から恒に改名する
西南戦争が起こる
西南戦争において博愛社を創設する
博愛社が日本赤十字社と改称する
72歳で没

<学習のポイント>
 奥殿藩における善政の様子と博愛社設立の熱意を感じ取りたい。
<見学のポイント>
 奥殿陣屋を見学することで,大給が奥殿藩において行った政治の様子をうかがうことができる。
<参考資料>
 「新編岡崎市史」
<問い合わせ先・ホームページ>
  奥殿陣屋 0564−45−7230
  岡崎市ホームページ 奥殿陣屋(旧奥殿藩陣屋跡) http://www.city.okazaki.aichi.jp/menu5323.html

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