大アラコ古窯跡(おおあらここようせき) <時代>平安時代  <地域>東三河
大アラコ古窯跡(現在は畑地になっている) 百々陶器窯跡(どうどうとうきようせき)

<所在地> 田原市芦村町字郷津 (豊鉄バス野田下車徒歩50分)

<概要>
 大アラコ古窯跡は,渥美半島中央部にある芦ヶ池(あしがいけ)の南西にある。大アラコとはこの辺りの地名である。1950年(昭和25)にこの近くの平岩古窯で「正五位下(しょうごいのげ)行兵部大輔(ぎょうひょうぶたいふ)兼三河守(けんみかわのかみ)藤原朝臣顕長(ふじわらのあそみあきなが)」と銘が入った陶器の破片が見付かった。その後大アラコでも同様の破片が見付かり,以後数回発掘調査が行われ,窯(かま)8基と顕長銘入りの壺片,甕(かめ),碗,皿が出土した。藤原顕長は,藤原北家(ふじわらほっけ)冬嗣(ふゆつぐ)の子孫で,1136年(保延2)からの9年間と1149年(久安5)からの6年間,計15年間三河国の国司(こくし)に任命されている。顕長の銘入りの壺は,祖先の霊の供養のため大アラコの窯で焼かせたものと考えられる。窯はいずれも傾斜面をトンネル式に穿った窖窯(あながま)で,全長は16m前後である。使用年代を知りうる古窯として価値が高い。1971年(昭和46)に国の指定史跡となった。 

<学習のポイント>
 地方行政における国司の役割を調べよう。また,藤原顕長のように実際は都にいて代わりの者を派遣して地方の国を治める遥任(ようにん)国司について考えてみよう。 

<見学のポイント>
 現地には説明の看板がある。渥美半島にはこれら以外にも伊良湖東大寺瓦窯跡(いらごとうだいじがようせき),皿焼古窯跡(さらやきこようせき)(保存施設は皿焼古窯館),国指定史跡の百々陶器窯跡(どうどうとうきようせき)(田原市六連町一本木)など多く分布しているので,一緒に見学するとよい。

<参考資料>
 「田原町史」 「図説東三河の歴史」 「東三河の歴史」 「愛知県の歴史散歩」

<問い合わせ先>
 田原市教育委員会文化財課 0531−23−3635 

 愛知エースネットへ      トップへ