二川宿本陣跡(ふたがわしゅくほんじんあと)<時代>江戸時代  <地域>東三河
二川宿本陣 二川宿本陣資料館

<所在地> 豊橋市二川町中町(JR東海道本線二川駅下車徒歩10分)


<概要>
  二川宿は東海道に江戸幕府が設置した53の宿場のうち,品川宿から数えて33番目の宿場である。町並みは12町(ちょう)26間(けん)(約1.3km)あった。東三河に置かれた4宿(二川・吉田・御油・赤坂)のうちでは,もっとも東に位置し,遠江国(とおとうみのくに)から三河に入る最初の宿場である。
  幕府は,もともと吉田藩領であった二川村と大岩村を直轄領とした上で,二川(本宿)と隣接する大岩(加宿(かしゅく))の二箇村からなる二川宿を設置した。宿場の規模は,1843年(天保14)の「東海道宿村大概帳」(とうかいどうしゅくそんたいがいちょう)によると,人口1,468人,家数328軒,本陣(ほんじん)・脇本陣(わきほんじん)各1軒,旅籠屋(はたごや)38軒と記録がある。
  本陣とは大名・公家・幕府役人などが宿泊休憩する施設で,一般の人々が利用する旅籠屋と区別されていた。本陣の宿泊料は定額ではなく大名たちの心付け程度であり,また貴人の宿として維持管理がかさみ,経営は困難であったと言われる。本陣職は最初の後藤家から紅林家に引き継がれ,1807年(文化4)から馬場彦十郎が受け継いだ。以来,1870年(明治3)の本陣制度廃止まで馬場家が経営を担当した。現存する本陣としては東海道では近江草津宿とこの二川宿のみであり,貴重な遺構である。 

<学習のポイント>
  二川宿の様子から,江戸幕府による交通整備や宿場の役割を学習しよう。また,当時の東海道の位置や他の宿場の様子,一里塚などについても調べてみよう。 

<見学のポイント>
  二川宿本陣は,現在二川宿本陣資料館として整備され,宿場関係資料など宿場の様子が分かりやすく展示してある。

<参考資料>
 「豊橋市史」・「図説東三河の歴史」・「愛知県の歴史散歩」・「豊橋めぐり」

<問い合わせ先>
  豊橋市二川宿本陣資料館 0532-41-8580

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