一色刑部の墓(いっしきぎょうぶのはか)  <時代>室町時代  <地域>東三河
一色刑部の墓(大聖寺)

<所在地>豊川市牛久保町岸組大聖寺(JR飯田線牛久保駅下車徒歩5分)
<概要>
 一色氏は足利氏の一門で,山名・赤松・京極氏と並び室町幕府の侍所の長官に任命される四職(ししき)の家柄である。1379年(康暦元)三河の守護となり,在地の国人勢力や地侍などを取り込んで領国を支配した。1438年(永享10)鎌倉公方足利持氏と将軍足利義教との抗争から永享の乱が起こるが,当時の三河の守護一色義範(いっしきよしのり)が持氏側に加担したと思われ討伐された。このとき一族の一色刑部時家(いっしきぎょうぶときいえ)は鎌倉を逃れ,三河国中条郷長山に一色城を築いた。時家はここを拠点に下長山・牛久保など現在の豊川市一帯を支配した。しかし1477年(文明9)家臣の波多野全慶(はたのぜんけい)に殺害されることになる。
<学習のポイント>
 室町幕府を支えた守護大名の制度を調べ,幕府の職制の中で四職の一色氏がどのような役割を果たしたか考えてみる。
<見学のポイント>
 現在,牛久保の大聖寺には一色城の跡と見られる土塁の一部と一色刑部時家の墓と伝わる五輪の塔が残されている。同じ寺内に今川義元の胴塚がある。
<参考資料>
 「豊川市史」「東三河の歴史」「愛知の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>
 大聖寺 0533−85−1172    
 豊川市教育委員会生涯学習課  http://www.city.toyokawa.lg.jp/munic/gakusyuindex.html

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