霞堤(かすみてい) <時代>江戸時代 <地域>東三河
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霞堤 |
霞堤説明板 |
<所在地>豊川市三谷原町中(JR飯田線豊川駅下車徒歩20分)
<概要>
霞堤はその形から鎧堤(よろいづつみ)とも呼ばれる。江戸時代の吉田城主池田輝政が豊川沿いに造らせたとされる独特の堤防である。豊川の下流域で川がU字形に蛇行した場所では流れが悪くなるため洪水の原因になっていた。そこで流れがぶつかる蛇行した部分の堤防にわざと「差し口」という切れ目をつくり,その背後にもう一つの堤防(霞堤)をつくる。そして川が増水するとこの「差し口」から遊水池に水を流し込み洪水を防ぐのである。遊水池は普段は農耕用地として利用された。豊川流域にはこうした「差し口」が9カ所あった。
<学習のポイント>
治水の堤防としては,長野県の釜無川に武田信玄が築かせた「信玄堤」が有名であるので比べてみるとよい。
<見学のポイント>
現在の豊川は本流とは別に1965年(昭和40)に
豊川放水路が完成し,豊川右岸の堤防は締め切られ,不要となった霞堤も一部取り払われたが,現在でもその姿を見ることができる。
<参考資料>
「豊川市史」「東三河の歴史」「愛知の歴史散歩」「豊川の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>
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