ロシア俘虜収容所址(ろしあふりょしゅうようじょあと) <時代>明治時代 <地域>東三河
豊橋 高師緑地公園 悟真寺

<所在地> 高師緑地公園 高師老人福祉センター付近 (豊橋鉄道渥美線高師駅下車5分)
悟真寺 豊橋市関屋町 (JR豊橋駅下車徒歩20分)

<概要>  
  高師(たかし)緑地公園内の南,高師老人福祉センターあたりに,1905年(明治38)豊橋俘虜(ふりょ)収容所高師原(たかしばら)収容所が設けられた。 日露戦争(1905)の際,約72,000名の俘虜(捕虜)が全国29所に分散され,うち将校40名と従卒40名が豊橋市関屋町の悟真寺(ごしんじ)に, 下士卒800名が高師原収容所に収容された。観劇や豊橋ハリストス正教会の礼拝なども許されており,強制労働も課せられることがなかった。 ポーツマス条約の批准にともない俘虜は解放され,神戸や四日市などから本国に送還された。
  高師原収容所址については,碑などはない。 悟真寺は,江戸時代,吉田藩随一の大寺院で将軍や朝鮮通信使の宿舎にあてられたり,明治時代には,三河裁判所など公用にも供されたが,豊橋空襲などにより関係資料などは焼失した。

<学習のポイント>
  ロシア人捕虜の生活状況や記録などを調べてみよう。また,全国の俘虜収容所はどのような様子であったか調べてみよう。

<見学のポイント>
  高師緑地公園の松林の中を歩きながら,捕虜生活を強いられたロシア人の気持ちを察してみよう。

<参考資料>
 「豊橋市史」「東三河の歴史」「豊橋の史跡と文化財」

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