津具金山(つぐきんざん) 〈時代〉戦国時代〜昭和時代  〈地域〉東三河
坑内の様子 織田信長からの書状

〈所在地〉北設楽郡設楽町津具 (豊川より国道151号,国道257号で約2時間)
〈概要〉
 津具に砂金の出ることを知った武田信玄は,1572年(元亀3)頃,いち早くこの土地の砂金の採取を始めた。 金鉱脈を発見した武田氏は,その家臣を金堀の奉行とし,いわゆる甲州金二十四万両を ここから採掘したと語り継がれており,武田信玄が軍資金を得るために採掘したので,「信玄坑」とも呼ばれている。
 武田氏が長篠の戦いで敗戦した後は,織田信長が金山の継続を図った。信長の書状には,金を掘っていた鉱夫に対して 金を掘り続けるようにとの命令が書かれている。津具金山は徳川時代にも継続されたが,産出量の多い伊豆,佐渡の金山が 発見されてからは自然休山となった。
 その後,昭和初期に倉田藤四郎が,国策に乗じて津具金山の採掘を手がけた。金価の暴騰により津具金山は益々盛んとなり, 最盛期には12,000tの金鉱石が採掘され,公表された金の総量は2,043kgとなった。金の採掘には350人が就労していた。 昭和初期の全国的な不況の中で,津具は金山により人口も増え活況をみせていたが,埋蔵量があるにもかかわらず,1957年(昭和32)に 休山となり,現在は閉山している。

〈学習のポイント〉
 軍資金の源として武田氏や織田信長が津具金山に着目していたことを押さえたい。また,昭和初期に復興した金山が,津具村に どのような影響を与えたのか考えよう。

〈見学のポイント〉
 現在は金山の坑道内に入ることはできないが,入口の様子を見ることはできる。 また,津具民俗資料館には,金の精錬に使った金摺石などが展示してある。

〈参考資料〉
 「郷土再発見」 「郷土資料愛知の史跡と文化財」 「副読本津具」

〈問い合わせ先〉
 設楽町教育委員会  0536−62−1105
 

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