長篠の戦い古戦場  (ながしののたたかいこせんじょう)<時代>戦国時代  <地域>東三河
 設楽原決戦場の馬防柵

<所在地> 新城市川路 (JR飯田線三河東郷下車徒歩5分)


<概要>
長篠の戦いは,三河進出をねらう甲斐の武田勝頼と,それを防ぐ徳川・織田連合軍との戦いである。家康は奥平貞昌(おくだいらさだまさ)を長篠城主として武田勢に備えさせるが,1575年(天正3)長篠城は武田勝頼軍2万5000に取り囲まれる。窮地に立たされた奥平貞昌は,鳥居強右衛門(とりいすねえもん)を使者として,岡崎にいた織田信長と徳川家康に救援を要請した。信長と家康はすぐに軍を動かし,設楽原(したらがはら)での決戦となった。信長は武田の騎馬軍団を防ぐため,乾堀(かわきぼり)と土塁を築かせ3重の馬防柵を設けた。また鉄砲隊を組織し3段に並ばせ連続して発射し,弾込めに時間のかかる火縄銃の弱点を克服したとされている。戦いは夕方まで続き,織田・徳川連合軍の圧勝であった。両軍の死者は合わせて1万6000人に及び,地元の村民はこれらを手厚く葬った。現在そこに信玄塚と呼ばれる墓碑が建っている。 

<学習のポイント>
長篠の戦いは,鉄砲が日本に伝来して以来初めて本格的に使用された戦いである。以後の戦法への影響などを理解させたい。また自分の命をかけて,岡崎への使者を名乗り出た鳥居強右衛門の人物像を取り上げてみるとよい。 

<見学のポイント>
現地一帯は長篠の戦いの歴史散策コースが作られており,説明版にしたがって散策できる。また設楽原歴史資料館,長篠城址史跡保存館も併せて見学するとよい。

<参考資料>
「新城市誌」・「図説東三河の歴史」・「愛知県の歴史散歩」・「長篠の戦い」

<問い合わせ先>
設楽原歴史資料館 0536−22−0673・ 長篠城址史跡保存館 0536ー32−0162

 愛知エースネットへ      トップへ