藩校時習館(はんこうじしゅうかん) <時代>江戸時代 <地域>東三河
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藩校時習館址の碑 |
「時習館」の扁額 |
<所在地> 豊橋市八町通二丁目 (豊橋鉄道市内線市役所前下車徒歩2分)
<概要>
江戸時代の諸藩は,優秀な人材養成のため,藩士の子弟を教育をするために藩校をもった。吉田藩校時習館は,藩主松平信復によって1752年(宝暦2)に創設された。三河地方では最も早く設立された藩校で,尾張・三河両国をあわせても,尾張藩校の明倫堂(現愛知県立明和高等学校の前身)に次いで二番目の藩校である。時習館は,現在の国道一号に面した豊橋市公会堂辺りに,敷地1400坪・建物93坪で設置された。廃藩置県後の1872年(明治5)に廃校となり,その後,私立補習学校時習館をへて,豊橋尋常中学時習館として復興した。その後,移転・改称をへて,1946年(昭和21),富本(とみもと)町に移転し,愛知県立時習館高等学校として今日に至っている。
<学習のポイント>
藩士の子弟教育の場であった藩校の役割について考えてみよう。また,「時習館」の語源について調べてみよう。
<見学のポイント>
時習館が建てられていた付近に現在は,豊橋市公会堂(国の登録有形文化財)が建てられている。この豊橋市公会堂は,1928年(昭和3)に建てられ,荘厳な外観は街のシンボルとなっている。
<参考資料>
「東三河の歴史」「図説東三河の歴史」「愛知県の歴史散歩」
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