【実践報告3】
6 結果と考察
(1) 「体・心・命の学習」の振り返りと観察
平成17年度より「体・心・命の学習」を系統的に行ってきた。そして平成18年度からは,グループ・
アプローチを取り入れた指導を試みた。活動@から活動Dを行ったことから,これまで行ってきた一斉
指導の形式とは明らかに違い,生徒がグループで他の生徒と意見を交換したり,共同作業をしたりする
ことによって,授業のねらいを生徒たちが自らの力で達成していくことができると考えられる。
ア 心の学習
活動@「一枚の絵」,活動B「こころさがし」,活動D「あなたにプレゼント」では,グループでの
共同作業や,自他のよいところを認め合うという体験を通し,自己成長のきっかけとなった。
例えば,活動@「一枚の絵」のねらいは「非言語のコミュニケーションを通して,自分の役割や性格
を知り,様々な人がいることを知る」である。振り返りで,生徒は「自分のタイプが分かってよかった」
「自分が何を書いたか分かってくれてうれしかった」「班のよいところが知れてよかった」などと記述
しており,自己理解や他者理解はもちろんのこと,自分のことを他の生徒に受け入れてもらうことがで
きたという実感がもてたということが分かる。中学1年生の時期に,このような活動を行うことで,中学
校生活を通して,自己を肯定した上で,相手を尊重した人間関係を築いていくきっかけにしてほしい。
活動B「こころさがし」では「心は人によって感じ方が違うと思った」「自分にとってうれしいこと
でも,その人にとってはうれしいことではなかったり,心の表し方も人それぞれだと思った」など,自
分の感じ方と他人の感じ方は必ずしも同じではないということに気付いた。更に「心というのは喜びや
悲しみを感じるところで,体のすべて,存在が心だと思う」といった記述もあり,活動のねらいである
「心の機能としての喜怒哀楽の感情について,お互いに傾聴し,共感し合うことで感情交流する」こと
はもちろんのこと,心とは何かということにまで考えを深めていった生徒もいた。しかし,ごく少数で
はあるが「つまらなかった」「よく分からない」という感想を書いた生徒もいた。感情の未発達な今の
子供たちに情緒面を豊に育てる工夫を試みていかなければならない。
活動Dでは,卒業式を間近に控えていたせいもあり,皆とても生き生きと活動をしていた。怠学傾向
のためクラスで過ごす時間が少なかった生徒も,この活動には進んで参加した。指導者の支援を受けな
がら,プレゼントするカードを準備し,渡すことができた。近くの席の生徒に手伝ってもらいながら,
自分にプレゼントされたカードを,うれしそうにワークシートにはっていた。そんな姿を見ていると,
ほんの少しの支援だけで,生徒同士がお互いに助け合い,認め合い,高め合っていくことができるのだ
と改めて実感した。「自分が思っている自分と,周りの人が見た自分とは違うんだなあと思った」「客
観的に自分のことを見ることができたと思う」「自分の考えていたイメージと全然違う。もしかしたら
自分のことを知っているのは,自分より周りの人なのかも」など,生徒たちは,他者の中の自分という
存在を再認識したようだった。ある生徒は1枚を除いてプレゼントされたカードがすべて同じだった。
また逆に全部違う種類だった生徒もいて,大変な盛り上がりを見せた。中には振り返りで「感動。自分
のことをよく知っていてくれたのでうれしかった。ありがとう」「自分が何をもらえるか楽しみで,今
日の授業はいい!と思った。周りの人に,自分がどのように見られているかを知ることができてよかっ
た」「カードだけど,思っていることが形にできてよかったと思う」という記述があった。このように
活動Dは,カードを使うことで,日ごろあまりコミュニケーションがとれていない生徒同士が,互いに
メッセージを伝え合うことができた。この実践を通して,人とかかわることの楽しさを学んだ生徒もい
た。また,何より自己を肯定し,他者の中で成長していくきっかけになった。
イ 体・命の学習
中学生にとって重要な発達課題の一つである「男女交際」や「性」について,活動A「付き合うって
どういうこと?」と活動C「HIV感染を防ぐために」でグループ・アプローチを取り入れた。これま
でのような一斉指導では,授業の雰囲気が静まり返り,生徒たちは窮屈に感じ,「恥ずかしかった」
「嫌だった」という否定的な感想が必ず見られた。しかし,グループ・アプローチを取り入れることに
よって生徒は積極的に意見を述べたり,活発にグループディスカッションを行ったりした。
活動Aでは「男女の性心理の違いを知り,お互いを認め合い,大切にし合える男女のかかわり方を考
える」ことがねらいである。アイスブレーキングの後に行った男女交際についての話合いは,一見,た
だざわついていたり意見がぶつかり合っていたりしているだけで,ねらいの達成が困難であるように見
えた。しかし,評価できないような時間が,生徒たちにとっては,自らの力で気付き,お互いの意見を
認め合うことにつながっていくことが振り返りから分かった。生徒たちの感想を見ると,「異性の考え
方に違いがあることが分かった」「みんなそれぞれ違った意見をもっていることが分かった。もし付き
合うことがあったら,相手の考えていることをお互いに理解していくことが必要だと思った」など,深
く考えた振り返りが多くあった。
活動Cでは「エイズ・性感染症の現状を正しく理解し,予防についての理解を深め,男女関係の在り
方を考える」ことがねらいである。振り返りでは,「お互いのことを理解し,考えながら生活していく
こと,HIVについてよく知ることが大切だと思った」「相手や自分を大切にするためにも,きちんと
HIVについて勉強した方がよいと思った」など,正しい知識をもつことの大切さや,男女が互いに理
解することの大切さについて気付くことができた。更に「たくさんのプロジェクトチームの意見が聞け
てよかった。命についてすごく考えさせられた。HIVにならないよう予防することが大切だと思った」
といった「命の大切さ」について実感した生徒もいた。ところが,中には「HIVに感染するのは自分
が悪いんだから仕方ないと思う」といった意見もあり,HIV感染を自分の身近な問題としてとらえる
ことができていない生徒もいた。
以上のことから「体・心・命の学習」にグループ・アプローチを取り入れ,様々な活動をすることに
より,自分を知り,自分のことを認めてもらったり,相手を認めたりしながら,自分や周りの人は,か
けがえのない大事な存在であるということに気付き,自他の生命を尊重する姿勢をもつことができた。
思春期である中学生の時期に,発達課題として男女交際について考え,自他の身体について理解し,他
者を尊重する態度を身に付けることは大切である。この発達課題を達成するための手だてとして,グル
ープ・アプローチは有効であったと考える。
(2) 保健室での個別指導
活動@から活動Dを終えた後,ある生徒は,授業後すぐ保健室に「部屋の四隅(活動A)すごく面白
かった!今度また授業で絶対やってね!」と言いに来た。また,保健室での個別指導にも変化が現れた。
友人関係について相談に来た生徒には,「こころさがし」の授業を思い出させながら,人にはそれぞれ
感じ方があって,受け止め方も違うということを再確認させた。すると,生徒は自分のこれまでの言動
を振り返り,友人とのかかわり方をもう一度考えることができ,教室へ帰って行った。男女交際で悩ん
でいた生徒も,「男女では性によって違うから,もっと話し合ってみる」と授業後,報告に来た。この
ように心の健康教育は,集団指導から個別指導へ,個別指導から集団指導へと繰り返されることにより
一層学習が深まっていく。保健室ではその効果が顕著に現れる。
休み時間のたびに一人で保健室を訪れていた生徒からは,数日後に来室した時,「授業はすごく楽し
かった。今まであまり話したことがない人と話せてよかった」という言葉が返ってきた。この生徒は自
分に自信がもてず暗い顔を見せることが多かったが,その時の表情は明るかった。
また,生徒の感想を保健便りに載せ,各家庭に配付することにより家庭にも啓発を行った。どの感想
を載せるかは,筆者が選択した。保健室への来室回数の多い生徒や自分に自信がもてず消極的になって
しまう生徒,問題行動のある生徒のものなどをできるだけ多く載せた。学級担任にも協力を依頼し,朝
や帰りのSTの時間にクラスで感想を紹介し,体・心・命の大切さについて確認をした。自分の感想が
載った生徒は,「家に持って帰ってお母さんと一緒に読んだよ。感動してくれた」「クラスのみんなの
前で読まれちゃって恥ずかしかった」などと照れながらもうれしそうに報告に来た。この取組は,自己
肯定感を高める一助としての働きがあったと考える。
(3) 「いのちについての実態調査」(一部抜粋)
自他の命を大切に思う気持ちをはぐくみ,自己肯定感を高めることは,よりよい人間関係を構築する
ために大切である。つまり,ハヴィガーストのいう青年期前期の発達課題でもある「洗練された男女の
交際」の支援のためにも,命の大切さを学ぶことは重要な意味をもつと考える。
そこで,平成17年度と平成18年度の「いのちについての実態調査」のアンケート結果を比較するとと
もに,平成17年度に春日井市養護教諭連絡会議が実施した「いのちについての実態調査」(市内中学生
3,005人対象)の市内平均とも比較したところ,生徒たちに次のような変容が見られた。
自分の存在や命について質問した項目「あなたは生まれてきてよかったと思いますか」について,
「はい」は平成18年度には平成17年度より1ポイント増えた。春日井市平均(以下市平均)より3ポイ
ント多かった。実践年も高い水準を維持したことが分かる(図3)。
「命は大切だと思いますか」について,「はい」は平成18年度には平成17年度の調査や市平均より4
ポイント高く,実践による意識の高まりが見られた(図4)。
「自分のことが好きですか」の質問に,「はい」は平成18年度では,平成17年度に比べ2ポイント減
少した。市平均とは同じ値であった(図5)。数字から見ると自己肯定感情が高まったということは言
えない。しかし,これは中学生の時期に自我同一性の発現により,自分を素直に認めることが難しい時
期にあるということが一因ではないだろうか。このような時期にある生徒に,ありのままの自分を受け
入れることができるような支援を考えていきたい。
学校生活や行動を示す項目として「学校生活は楽しいですか」については「はい」の回答が平成18年
度は77%で平成17年度の72%より5ポイント上昇した。市平均は59%であり,13ポイント高い結果であ
った。学校生活は楽しいと感じている生徒が実践前から多かったが,実践によりその割合は更に高まっ
た。
「人に対して死ね,死んでほしいなどの言葉を言ったことがありますか」の質問に,「いいえ」の回
答は平成17年度34%,平成18年度44%と10ポイント上昇した。市平均は26%であり,実践により乱暴な
言葉を使う生徒が減り,他を尊重する態度は向上した。また,平成17年度と18年度に学校保健委員会で
「いのちについての実態調査」の結果から問題提起をし,命の大切さについて啓発した。その結果,生
徒や保護者から下記のA,Bのような感想を得た。調査をするだけでなく,それらを生徒に還元してい
くことや,調査結果について生徒・保護者・職員がそれぞれの立場で意見交換することが非常に重要で
あるということを感じた。また,学校保健委員会で「いのちについての実態調査」を知らせたことは,
健康課題をとらえ,解決方法をみんなで考えるきっかけとなった。
今後も思春期にある中学生の心の発達課題を踏まえた上で,生きているだけで価値があるということ
を伝えていきたい。学校だけでなく,各家庭へも予防開発的な心の健康教育の重要性を発信し,家庭と
学校が両輪となって,生徒たちの心の発達を支援していく必要もある。学校教育のあらゆる場面で,養
護教諭の専門的力量や特質を生かし,生命尊重の精神を育て,自分や周りを大切にすることができるよ
うな生徒たちを育てていきたい。
(春日井市教育委員会 春日井市教職員研修委員会,2006)
3) 上條晴夫『ゲームで保健の授業』(東山書房,2003)
4) 上條晴夫『ワークショップで保健の授業』(東山書房,2007)
5) 古角好美『セルフエスティームを育てる心の学習』(東山書房,2000)
6) 横浜市学校GWT研究会『協力すれば何かが変わる 続・学校グループワーク・トレーニング』(遊戯社,1994) |