カブト山古墳  <時代>古墳時代  <地域>知多
カブト山古墳遠景 カブト山古墳の碑

<所在地> 東海市名和町(名鉄名和駅徒歩10分)
<概要>
 古代,知多半島のつけ根の東海市名和の地からその北方の熱田台地との間には,大きな干潟が広がっていた。通称「あゆち潟」と呼ばれ,周辺の台地には縄文時代以来の遺跡が多く存在し,豊かな自然環境であったことを示している。ちなみにこの「あゆち」という呼び名は現在の県名である「愛知」に通じているとの説もある。
 この伊勢湾の奥に位置する地域は,潟をめぐる濃尾平野,知多半島などを望むことができ,海上交通の要地になっていた。潟の南に位置する名和の丘陵には尾張南部地域で最も古い四世紀末のカブト山古墳が築かれている。カブト山古墳は1880年(明治13)に土地所有者によって発掘され,その後報告書にまとめられた。報告書によると,直径45メートル,高さ4・5メートルの大規模な円墳で,内部から三角縁獣文帯三神三獣鏡(さんかくふちじゅうもんたいさんしんさんじゅうきょう)などの銅鏡をはじめとして多くの副葬品が出土した。この地域にはヤマトタケルの説話も伝えられ,草薙剣(くさなぎのつるぎ)を安置する熱田神宮も近く,当時から大和と尾張の深いつながりがあったことを示している。

<学習のポイント>
 日本の古代社会において,大和王権の大王が地方の王と勢力を結びながら支配体制を強めていった過程を示す好例として,尾張地区に残る巨大古墳と銅鏡の存在の意味を考えさせたい。
<見学のポイント>
 カブト山古墳は全体を概観することはできないが,同じ東海市にある岩屋口古墳(いわやぐちこふん)は巨石を用いた内部の石室を見学することができる。
<参考資料>
 「知多半島の歴史」 「東海市史」
<問い合わせ先>
 東海市郷土資料館 052−604−4141

 愛知エースネットへ      トップへ