堀之内城址(ほりのうちじょうし) <時代>室町時代 <地域>知多
石垣の一部 本丸址

<所在地>知多市八幡字堀之内78(名鉄常滑線寺本駅下車,徒歩10分)
<概要>
 寺本駅より県道知多東浦線を東に向かってしばらく行くと,左手に30メートル程の小高い丘が二つ見えてくる。手前側に見える丘を地元の人は天王山と呼び,山頂には津島神社が祀(まつ)られている。そこは,かつて室町時代から戦国時代にかけて,花井氏の堀之内城がそびえていた。
 「尾張志」によると,「堀之内にありて今天王山という東西五十間南北二十間花井播磨守(はりまのかみ)其子勘八郎二代居しといひ伝へたり」と書かれている。堀之内城は別名「寺本城」,「青鱗城(せいりんじょう)」とも呼ばれていた。この青鱗城の名前の由来は,天守閣の鬼瓦が青銅の鱗形(うろこがた)をしており,夕日に映えて伊勢湾を通る舟からよく見えるところから付いた名であると言われている。

 堀之内城主花井氏は,16世紀に寺本を中心に勢力を張った土豪であり,駿河(するが)の今川氏にくみしていた。そのため1555年(天文24)1月25日,織田信長軍に攻められ,堀之内城下は戦火に遭い,大きな被害を受けた。桶狭間の戦いの後,花井氏は織田信長に従い,大野城主の佐治氏と協力して,西知多の水軍として伊勢湾一帯で活躍した。

<学習のポイント>

 織田信長が天下統一を目指す中で,知多を治める過程の一つとして,この城をとらえてみよう。また,実際にフィールドワークをして詳しく調べてみよう。

<見学のポイント>

 堀之内城址には,大手門前や本丸へ通ずる石垣や階段があり,中世の山城の面影をしのぶことができる。堀之内城主花井信忠が1443年(嘉吉3)5月に津島神社を建立した棟札が,今も保存されている。

<参考資料>
 
「知多市誌」

<問い合わせ先・ホームページ>

 知多市歴史民俗博物館 0562-33-1571 http://www.city.chita.aichi.jp/kyouiku/syougai/hyu-tory/index.html

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