大野城(おおのじょう)<時代>安土・桃山時代   <地域>知多

(城址の展望台)

(佐治神社と佐治与九郎一成の像)


<所在地>常滑市金山字桜谷(名鉄常滑線西ノ口駅下車東徒歩10分)

<概要>
大野城は,伊勢湾が一望できる常滑市青海山(せいかいざん)の山頂に築かれ,別名宮山城ともいう。大野城の築城年代は定かではないが,室町時代には大野氏,一色氏,佐治氏が代々居城とした。中でも佐治氏は水軍の将として,伊勢湾の海上交通を支配する上で重要な位置を占めていた。佐治氏三代信方の正室が,織田信長の妹お犬の方であり,四代与九郎一成(よくろうかずなり)が,豊臣秀吉によって織田信長の妹市の方の三女,小督の方(おごうのかた)を正室としているように,尾張の支配者がいかに佐治氏を重要視していたかが分かる。しかし,豊臣秀吉徳川家康・織田信雄の仲が不和になると,一成が徳川・織田方に味方したため,一成は小督の方と離縁をし,小牧・長久手の戦いで城を捨てて伊勢国に逃れたという。小督の方は,後に徳川秀忠に嫁ぎ,千姫,三代将軍家光を産んでいる。佐治氏の後には,織田長益(おだながます)またの名を織田有楽斎(おだうらくさい)が城主となったが,近くに大草城を築城したため,廃城となった。現在では,ほとんどが宅地となっているが,城山公園として整備され,天守閣に見立てた展望台が建てられている。また,物見櫓跡には佐治氏を祀る佐治神社がある。

<学習のポイント>
時の権力者が,経済や軍事力を支配するため重要視した水上交通などの交通の発達の様子について深く追究したい。

<見学のポイント>
天守閣から伊勢湾が一望でき,伊勢湾を支配した水軍や問丸の活動に思いをはせることができる。

<参考資料>
「常滑市誌」

<問い合わせ先>
常滑市役所(0562)35-3111
常滑民俗資料館(0569)34-5290

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