緒川城址(おがわじょうし) 〈時代〉室町時代 〈地域〉知多
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緒川城址 |
緒川城の土塁址 |
〈所在地〉知多郡東浦町緒川字古城(JR武豊線緒川駅下車,徒歩15分)
〈概要〉
緒川城は水野貞守(さだもり)が1469〜1486年(文明年間)に築城して以来,約130年間水野氏の居城であった。1606年(慶長11),最後の緒川城主水野分長(わけなが)が三河国新城1万石に移封(いほう)となり,緒川城は廃城となった。
緒川城は海岸沿いの平地を裾野(すその)にもつ低い山の中腹に築かれ,城下町と一帯となった平山城で,城の周囲は三方が山地で,東側は急ながけになっていた。
緒川城に関する史料は,江戸時代初期に描かれた「緒川村古城絵図」(名古屋市蓬左(ほうさ)文庫所蔵)がある。絵図には,土塁(土を積み上げて築いた城壁)と堀に囲まれた大小の曲輪(くるわ)が描かれている。中央から南の一段と大きい曲輪が城の中核をなす主曲輪で,東西83m・南北95mほどの方形状である。北の曲輪群は家臣の屋敷地で,その一画は,分長の時代に居城とされ,「高藪城(たかやぶじょう)」と呼ばれた。
今,この地域は住宅地になっており,土塁の一部が残るのみとなっている。また,緒川城は徳川家康を生んだ於大の方の生まれた地であり,天保の改革を行った水野忠邦(ただくに)は,緒川城主水野忠守(ただもり)の子孫にあたる。
〈学習のポイント〉
織田氏と徳川氏という二大勢力にはさまれた中で,水野氏がどのようにして戦国時代を生き抜いてきたのか詳しく調べてみよう。
〈見学のポイント〉
東浦町の文化財に指定されている。土塁は一部しか残されていないが,その高さは驚きである。水野家の菩提寺である乾坤院(けんこんいん)と一緒に見学したい。また,乾坤院の隣には於大公園もあり,町民の憩いの場となっている。
〈参考資料〉
「東浦町誌」
〈問い合わせ先・ホームページ〉
うのはな館(東浦町郷土資料館) 0562-82-1188
http://www.town.higashiura.aichi.jp/25unohana/bunkazai/bunkazai_cho.htm#ogawajoushi
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