鯉江 方寿(こいえほうじゅ)  <時代>明治時代  <地域>知多
鯉江方寿 陶像 民俗資料館 内部

<関係地> 常滑市民俗資料館(常滑市瀬木町)名鉄常滑駅下車徒歩30分

<業績>
 鯉江方寿は,1821年(文政 4)に知多郡常滑村に焼き物作りの家に生まれた。当時常滑焼は,その歴史は古いが窯の不具合によりどうしても上等のものが焼けず,人々は何とか瀬戸物のような質のよい,割れにくい焼き物を作りたいと願っていた。方寿は父親の窯改良の努力を引き継ぎ,13年もの苦心の末にやっと改良に成功し,陶器産業発展の基礎となった。また,当時,すべてイギリスより輸入していた陶管(地中に埋める土管)の国産化に努力し,ついにそらない,ゆがまない木型を作ることに成功し,陶都常滑の名は全国に知れわたった。
<年譜>
1821年(文政 4)常滑の製陶業鯉江方救の長男として誕生
1848年(嘉永元)新田の開発に成功し,鯉江新開とよばれる
1856年(安政 3)登り窯を完成,朱泥焼を発明する
1872年(明治 5)鉄道の工事現場を視察し陶管の製造を思い立つ
1874年(明治 7)ソケット式陶管の製法を開発し,京阪鉄道の敷設に使用される
1901年(明治34)79歳で没

<学習のポイント>
 郷土に尽くして地場産業の基を築こうとした方寿の生き方に共感させたい。 
<見学のポイント>
 常滑西小学校前の天神山には高さ2m60pの方寿の陶像が立てられ,今も常滑の発展を見守っている。また陶芸研究所には常滑焼の歴史が分かりやすく解説してある。
<参考資料>
「愛知に輝く人々1」「常滑焼きの開拓者鯉江方寿の生涯」
<問い合わせ先・ホームページ>
常滑市教育委員会(0569)35-5111
常滑市民俗資料館 (0569)34-5290   http://www.tokoname.or.jp/scan/minzoku.htm

愛知エースネットへ      トップへ