佐屋路・佐屋宿(さやじ・さやじゅく) <時代>江戸時代 <地域>尾張
佐屋代官所跡 佐屋街道
佐屋代官所跡 佐屋街道

<所在地>愛西市
<概要>
 東海道の「七里の渡し」のバイパスとして作られた「三里の渡し」に伴い,開通したのが「佐屋路」である。3代将軍徳川家光が1634年(寛永11)に佐屋路を利用したのが,街道開設のきっかけだと言われている。1636年(寛永13)には,並木用として,知多郡の松2700本が植えられ,一里塚も設置された。1647年(天保4)には,岩塚,万場,神守,佐屋の4つの宿が完成し,本街道の宮(熱田)〜桑名の海路に代わる陸の脇道としての機能を発揮し,全国的に知られるようになった。また,女性や子供の旅人が多く利用したことから「ひめ街道」とも呼ばれていた。
 1843年(天保14)の記録によれば,佐屋宿には本陣・番所・問屋の他,旅籠が31軒とされていて,人口は1260人に及び,佐屋路中最大規模の宿場となっていた。
 海路の安全面へのリスクや船酔いを嫌って,多くの大名や著名人が「七里渡し」を避けて佐屋路を利用した。また,歴史上の著名人も利用した。以下,現存する文献他の記録から挙げてみる。
 〇徳川家康(1615年4月,佐屋から乗船し,桑名に着いたとされている)
 〇尾張藩初代藩主の義直公(有馬温泉に行く際に利用した)
 〇オランダ人商人のケンペル,オランダ人医師シーボルト
 〇三井越後屋
 〇伊能忠敬(測量時に利用したと思われる)
 〇松尾芭蕉(佐屋に「水鶏なくと人のいへばや佐屋泊り」という句を残す)
<学習のポイント>
  史跡や資料から幕藩体制の制度や様子を想像してみよう。併せて「三里の渡し」も学習してみよう。

<見学のポイント>
  代官所跡,水鶏塚,佐屋海道址等,旧街道沿いに,当時の面影が随所にあり,当時の様子をイメージできる。

<参考資料>
  「海部・津島の歴史とくらし」

<問い合わせ先>
  愛西市教育委員会社会教育課 0567-37-0231

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