磨墨塚(するすみづか) <時代> 鎌倉時代  <地域> 尾張
磨墨の形をした木馬 磨墨を葬ったとされる墓

<所在地> 愛知県犬山市羽黒摺墨(名鉄羽黒駅下車徒歩10分)
<概要>
犬山市民文化会館の南,磨墨塚史跡公園の中にあり,名馬磨墨を葬った地といわれている。磨墨は源頼朝の愛馬で,頼朝から梶原景時(かじわらかげとき)へ与えられたものであり,磨墨にまたがる景季(かげすえ,景時の子)と池月にまたがる佐々木高綱との宇治川の先陣争いは有名である。頼朝の死後,幕府の内紛により,景時は鎌倉から追放され,京に逃れる折り,その息子景季,景高ら一族郎党ともにことごとく悲惨な最期を遂げた。その時,景高の一子豊丸は幼少で乳母お隅の方の手にあった。
羽黒にゆかりのあるお隅の方は,豊丸を守り,総勢十余人で磨墨をともなってこの地に落ちのびてきた。豊丸は羽黒の地で成人して,梶原景親(かげちか)を名乗り,羽黒城を築城したといわれる。その後お隅の方は亡くなり,磨墨も時を同じくして死んだと伝えられている。

<学習のポイント>
源頼朝と鎌倉幕府の成立は歴史学習で必修である。その重臣,梶原景時とその愛馬が地域にも影響をもっていることを知り,歴史の登場人物に親しみをもって歴史学習に臨みたい。中学校・高等学校においては,鎌倉幕府の成立に尽力した梶原氏が北条氏との争いに敗れた経緯を取り入れながら調べ学習を進めたい。

<見学のポイント>
史跡が公園化されており,低・中学年でも大きな磨墨の木馬で遊びながら歴史に親しむことができる。磨墨の墓は竹やぶに囲まれており,自然と鎌倉時代へと思いをはせることができる。付近には小牧・長久手の戦いの古戦場と入鹿切れの流石がある興禅寺もあるので併せて見学したい。

<参考資料>
「犬山市史」
「犬山市の文化財」
「郷土史閑話」

<問い合わせ先>
犬山市役所(0568)61-1800

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