守綱寺 (しゅこうじ)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
守綱寺 寺内にある渡邊家墓所

<所在地> 豊田市寺部町2丁目(名鉄三河線豊田市駅下車 名鉄バス寺部中町下車徒歩7分)
<概要>
 渡邊半蔵守綱は,1557年(弘治3)から徳川家康に仕え,武勇をもって知られている。家康から「槍の半蔵」の名をもらい徳川十六将の一人に数えられ,尾張藩家老を務めた。 守綱寺は,正式には渡邊山(わたなべさん)守綱寺と言い,寺部領主渡邊家の菩提寺(ぼだいじ)である。1620年(元和6),初代渡邊半蔵守綱が死亡したとき,その子重綱が寺部村横山に墓を造り,お堂を建てたのが始まりである。3代治綱は,お堂を守綱寺と改め,伏見桃山城の軍議評定所(ぐんぎひょうじょうしょ)をもらい受け本堂にしたと伝えられている。
 鐘楼堂(しょうろうどう)は,県下でも年代の分かる鐘楼堂として4番目に古い建築物である。梵鐘(ぼんしょう)は,2代重綱が寄進した豊田市内で最も古いものの一つで,市指定文化財になっている。
 本堂の裏手には渡邊家代々の墓所(ぼしょ)がある。方形の,一段と高くなった墓所の最も奥に初代渡邊半蔵守綱,そして歴代の墓石が南向きに並んでいる。
<学習のポイント>
 徳川家康に仕えた渡邊半蔵守綱と関係の深い守綱寺から,江戸時代の領主の暮らしぶりを考える。 
<見学のポイント>
 守綱寺の本堂,鐘楼堂,太鼓堂(たいこどう),山門,墓所など見るべきものが多い。
<参考資料>
 「豊田の文化財」 「豊田の史跡と文化財」(豊田市教育委員会)
<問い合わせ先・ホームページ>
 豊田市郷土資料館 0565−32−6561

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