三河一向一揆と本證寺(みかわいっこういっきとほんしょうじ)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
本證寺遺構城郭伽藍(じょうかくがらん) 本證寺

<所在地> 安城市野寺町野寺26  (名鉄西尾線桜井駅下車,あんくるバス桜井線乗り換え,野寺本證寺南下車徒歩3分)  

<概要>
  1560年,桶狭間の戦いで今川氏の支配から解放された徳川家康は,三河の国の統一に取り掛かった。尾張の織田信長とも同盟を結び,三河の国のほとんどが家康の勢力下に入った。本證寺は,この家康の強引な支配に抵抗した真宗大谷派の勝鬘寺(しょうまんじ)(岡崎市),上宮寺(じょうぐうじ)(岡崎市)と共に「三河三ヶ寺」のひとつとして,三河一向一揆の中心になった寺である。1563年ついに三河一向一揆がおきた。半年後には,家康によって一揆は鎮められ,活動を禁じられた三河の真宗寺院は次第に衰えていった。一揆をおさえることにより,家康は三河全体の支配を確かなものにしていった。
<学習のポイント>
  本證寺を中心として,村全体が堀や土塁(どるい)で囲まれ,外敵を防ぐ構造になっている。本堂など重要な部分は特に二重に囲まれている。寺と村とが一体になって強固な信仰集団ができあがっていたことがうかがわれる。三河一向一揆が家康による江戸幕府成立にどのような影響を与えていったかを考える。
<見学のポイント>
  安城市歴史博物館には,本證寺に関連する資料が展示されている。

<参考資料・ホームページ>
  「三河国門徒兵乱記の研究」「安城市史」
  安城市ホームページ  http://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-honsyouji.html

<問い合わせ先>
  安城市教育委員会生涯学習部文化財課 0566-77-4477 

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