富士塚(ふじつか)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
富士塚 東条塚(安城市安城町)

<所在地> 安城市上条町浜道  (JR東海道線安城駅下車徒歩20分)
<概要>
  1540年(天文9)6月,尾張の織田信秀(のぶひで)は刈谷の水野忠政(ただまさ)と共に安祥城(あんしょうじょう)を攻撃した。そのころ安祥城は松平長家が城代をしていた。信秀は,城を北方から攻めて,上条の西に陣を張った。安祥城の松平長家や松平広忠の弟信康,藤井松平の利長,東条松平の康忠などが援軍を出し,全面対決になった。その際,多くの松平家臣が戦死した。これを第一次安城合戦という。後に,戦場であった辺りに戦死者を弔う「十三塚」を築いた。「富士塚」もその一つで,元は「武士塚」と呼んでいたという説もある。
<学習のポイント>
  松平氏が織田氏と今川氏の間で奮戦した経過を徳川家康との関連で触れていきたい。特に富士塚はその激戦地であったことを物語っており,安城合戦の具体例として取り上げることができる。
<見学のポイント>
  安城合戦が行われた所に設けられた十三塚が他にどのように分布しているのか調べることによって,古戦場の様子をつかむことができる。 
<参考資料>
  「安城市史」「安城市文化財図録」
<問い合わせ先>
  安城市教育委員会生涯学習部文化財課 0566-77-4477

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