安祥城址(あんしょうじょうし) <時代>戦国時代 <地域>西三河
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安祥城址 |
安祥城の切岸 |
<所在地> 安城市安城町赤塚1−2 (名鉄西尾線南安城駅下車,あんくるバス市街地線乗り換え,東尾下車徒歩3分)
<概要>
1471年(文明3),松平信光(のぶみつ)が奇策を使って攻略し,その子親忠(ちかただ)に与え,それ以後長親・信忠・清康(きよやす)の4代50年余りの間,安城松平の居城だった。その後,清康は岡崎に本拠を移した。城址は南へ張り出す台地にあり,三方は湿地に面した平山城である。現在は大乗寺と八幡社の境内になっている。織田と今川の攻防が繰り返され,桶狭間の戦いの後,1562年(永禄5)に信長と家康の清洲同盟(きよすどうめい)が成立すると,安祥城は廃城となった。城趾は,安城市歴史博物館の隣に位置し,現在の大乗寺(だいじょうじ)の本堂辺りが,本丸跡と考えられる。
<学習のポイント>
松平氏が岡崎を本拠とする以前に,西三河一帯にどのように勢力を伸ばしていったかを考えよう。
<見学のポイント>
大乗寺北側には,安城合戦で大きな功績を残し戦死した本多忠高(ただたか)の墓がある。また,境内の側面には土塁が現存している。さらに,安祥城近くには七つ井と呼ばれる井戸が点在し,安祥城主が茶の湯に使ったとされる筒井が前の道路を隔てた北側にある。
<参考資料・ホームページ>
「安城市史」 「安城市歴史博物館−見学の手引き−」 「安祥城物語」
安城市中央図書館 https://www.library.city.anjo.aichi.jp/kyoudo/kyoudo10.html
安城市ホームページ http://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-ansyoujou.html
<問い合わせ先>
安城市教育委員会生涯学習部文化財課 0566-77-4477
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