明治川神社(めいじがわじんじゃ)  <時代>明治時代  <地域>西三河
明治川神社 明治川神社入り口

<所在地> 安城市東栄町柳原9 (名鉄名古屋本線新安城駅下車,あんくるバス北部線乗り換え,明治川神社下車徒歩1分)
<概要>
  明治用水は,矢作川の水を碧海(へきかい)台地に引き入れ,大規模な耕地拡大の開発を行うという計画で,碧海郡和泉村の豪農都築弥厚(つづきやこう)が幕府に嘆願書を出したことに始まる。なかなか農民たちの理解が得られず,志半ばで弥厚は亡くなった。明治期に入り岡本兵松(おかもとひょうまつ)・伊与田予八郎(いよだよはちろう)らの手によって開発計画が再燃した。そして1879年(明治12)に着工し,翌年第1次工事の完成をみた。この完成で,後に農業大規模多角経営が生みだされる第一歩となった。明治川神社は,明治用水の開発に功績のあった都築弥厚・岡本兵松・伊豫田与八郎らをまつり,開発当時に使われていた測量道具なども所蔵している。
<学習のポイント>
  荒れ野であった安城が原で水不足に悩む農民を見て用水計画を立てた弥厚と,その計画を受け継いだ兵松・与八郎らの活躍を調べてみよう。
<見学のポイント>
  神社の北側には,明治用水記念碑がある。石碑には,1880年(明治13)4月の新用水成業式(竣工式)に出席した明治政府の高官松方正義(まつかたまさよし)内務卿の「疎通千里,利澤万世」の文字が刻まれている。
<参考資料>
  「明治用水百年史」 「安城市史」

<問い合わせ先>
  安城市歴史博物館 0566-77-6655

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