明治用水の開発(めいじようすいのかいはつ)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
都築弥厚(つづきやこう)像(弥厚公園) 暗きょになった明治用水の上を走る緑道

<関係地> 弥厚公園  安城市和泉町宮前 (JR東海道線安城駅下車,あんくるバス南部線乗り換え,和泉丈山苑下車徒歩1分)
<概要>
  荒れ野だった安城が原に用水を通し,豊かな土地にしようという計画を和泉村(現在 安城市和泉町)の都築弥厚が立てた。矢作川の水を引っ張ってくるということで,地域の住民からは洪水になったときの心配で反対する声が多かった。私財を投げ出して計画を進めたが,志半ばで亡くなった。その後,岡本兵松(おかもとひょうまつ)・伊豫田与八郎(いよだよはちろう)らによって明治用水は完成する。都築弥厚はその礎を築いた人としてよく知られている。
<学習のポイント>
  明治用水開削の苦労や,その後『日本デンマーク』と言われるまでに成長した安城の農業を考える場面で活用しよう。
<見学のポイント>
  都築弥厚の銅像がある弥厚公園の近くには,弥厚の墓がある本龍寺がある。また,安城市東栄町には,明治用水通水を祝って建てられた明治川神社があり,開削に功績のあった岡本兵松・伊豫田与八郎らと共に弥厚がまつられている。
<参考資料>
  「安城市史」 「明治用水百年史」
<問い合わせ先>
  安城市歴史博物館 0566-77-6655

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