二十七曲(にじゅうななまがり)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
二十七曲の碑 篭田町にある二十七曲の碑

<所在地> 岡崎市欠町〜八帖町(名鉄名古屋本線岡崎公園前駅下車徒歩5分)
<概要>
 田中吉政の後に岡崎城主になった本多康重は,東海道を城内に取り入れ,新しい街道である二十七曲を造り上げた。1601年(慶長6)に矢作橋が完成し,それまでは菅生川南岸を通っていた東海道だったが,菅生川北岸の城下に引き入れられた。さらに,1608年(慶長13),康重は岡崎城の東の台地に新しい町である伝馬町を作り,宿場町・伝馬役として機能させるために東海道の変更を行った。城下町に引き入れられた東海道は,防衛のために新しい町に沿って曲がりくねった道となった。伝馬町は往来する旅人のために旅籠(はたご),餅菓子屋,土産物屋などが立ち並び,人・もの・情報が集まる城下となった。それにより,岡崎はかつてないほどの繁栄ぶりを見せたという。


<学習のポイント>
 二十七曲が作られた歴史的過程を学ぶことを通して,城下町の防衛機能と岡崎の繁栄の様子をとらえてみよう。
<見学のポイント>
 現在は,二十七曲の通り沿いに石碑が残っている。
<参考資料>
 「岡崎 史跡と文化財めぐり」「新編岡崎市史」
<問い合わせ先・ホームページ>
 岡崎市観光協会 0564-23-6216 http://www.city.okazaki.aichi.jp/kankokyokai/top.htm

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