田中 吉政(たなかよしまさ)
<時代>
江戸時代
<地域>
西三河
田中吉政
岡崎城
<関係地>
岡崎城
岡崎市康生町561 (名鉄名古屋本線東岡崎駅下車徒歩10分)
<業績>
1590年(天正 15),
徳川家康
が関東に領地替えになった後に
岡崎城
主となり,1600年(慶長5)まで岡崎を支配した。岡崎城主となった吉政の業績として,岡崎城の城郭(じょうかく)と城下町を整備したこと,矢作川の堤防を造ったこと,太閤検地を行ったことなどがある。
城郭・城下町の整備では二つの大きな課題があった。一つは関東の
徳川家康
が
豊臣秀吉
に対して反乱を起こした時,
家康
軍を食い止められるように城の東側をしっかりと守ることできる城郭にすることと,もう一つは2500人の家臣が住める城下町を造ることであった。この二つの課題の解消を目指して
岡崎城
周辺の整備を進めた。 城の整備としては総曲輪(そうくるわ)を造った。総曲輪とは城下町を取り囲む堀と土塁,及び堀などに囲まれた城下町全体のことである。吉政は近世岡崎の基礎を築いた領主と言える。
<年譜>
1548年(天文 17)
1579年(天正 7)
1590年(天正 18)
1595年(文禄 4)
1600年(慶長 5)
1609年(慶長 14)
現在の滋賀県に農家の子として誕生
このころ,羽柴家の家臣となる
小田原の陣の山中城攻めで功績を挙げ,
岡崎城
主となる
主君豊臣秀次が自害し,自らは
徳川家康
の配下となる
関ヶ原の戦いで功績を挙げ,筑後柳川領主となる
61歳で没
<学習のポイント>
近世岡崎の発展の基礎を築いた吉政の偉業と当時の岡崎の様子を調べてみよう。
<見学のポイント>
現在の岡崎城は1959年(昭和34)に再建されたものであるが,現在も堀の遺構を見ることができる。
<参考資料>
「新編岡崎市史」
<問い合わせ先・ホームページ>
岡崎美術博物館 0564-28-5000
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/top.html
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