猿投祭りと棒の手(さなげまつりとぼうのて) <はじまり>室町時代 <地域>西三河
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棒の手銅像(豊田市棒の手会館) |
豊田市棒の手会館内 |
<関係地>豊田市棒の手会館 豊田市猿投町別所23番地1(名鉄三河線豊田市駅下車,とよたおいでんバス藤岡・豊田線乗り換え,棒の手広場前下車すぐ)
<概要>
棒の手は,農民の自衛のための武術が,五穀豊穣祈願のための奉納演技に変化していったと考えられており,室町時代に武家の奉公人や庶民の間で始まったようである。現在,神社や寺の節句祭に奉納される献馬を警固するため,棒の手も奉納されている。
棒の手の流派は,尾張,三河,美濃一帯に数十種類あったといわれている。現在,豊田市に伝承されている流派は,鎌田流,見当流,起倒流,藤牧検藤流の4流派である。 鎌田流は、日進市の岩崎城主丹羽勘介氏次(にわかんすけうじつぐ)が1554年(天文23)家臣の鎌田兵田寛信に命じ,領民に棒術の技を教え,その技に優れた者を従え,三河猿投大明神の祭礼に献馬と共に棒術を奉納した。これが猿投神社の棒の手祭りの始まりであるとされている。
<学習のポイント>
棒の手が始まった室町時代について調べてみよう。
<問い合わせ先>
豊田市棒の手会館 0565ー45-7288
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