一色のえびせんべい(いっしきのえびせんべい) <始まり>明治時代 <地域>西三河
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伝統的な手焼きによる「えびの姿焼き」 |
大量生産が可能な機械自動焼き |
<関係地>西尾市一色町
<概要>
一色町でえびせんべいが作り始められたのは,1894年(明治27)ごろで,一色町でかまぼこ作りをしていた文吉という人物が,三河湾で捕れるエビを原料に作りだしたといわれている。当時,えびせんべいは中国から輸入され,高級品で庶民の口には入らなかった。しかし,1902年(明治35)ごろ,蒸し器で一度に大量のエビを処理することが工夫されたため,安価で多量の国内製品が生産されるようになった。
一色町及びその周辺の生産業者は,戦後の最盛期に約120軒を数えたが,現在は約40に減少している。最近は,機械化による生産効率の向上により,売上高は年間約110億円,全国シェアの約60%を生産している。
機械化が進む中にあっても,手焼きを守り,「えびせんべいしか作らない」という業者も相当数あり,昔ながらのせんべい作りが生きている。最近では,
うなぎ,
カーネーションとならぶ一色町の特産品として,PRの努力も行われている。
<学習のポイント>
えびせんべいの生産の様子について,手焼きと機械焼きを比較しながら調べてみよう。
手焼きにこだわる業者の思いについて考えてみよう。
<見学のポイント>
昔ながらの伝統を守る手焼き製造の様子と機械を使った大量生産の様子を比較しながら見学をしてみよう。
また,「一色さかな広場」には,代表的な企業が出店をしている。
<参考資料・ホームページ>
「あいちの地場産業」
「一色町勢要覧」
<問い合わせ先>
一色町役場 0563−72−7111
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