野田城跡(のだじょうあと) <時代>戦国時代 <地域>東三河
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(野田城祉の碑) |
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<所在地> 新城市豊島字本城 (JR飯田線野田城駅下車徒歩15分)
<概要>
野田城は,1505年(永正2)に菅沼定則(すがぬまさだのり)によって築かれ,子の定村(さだむら)孫の定盈(さだみつ)三代の居城となる。以後駿河(するが)の今川氏や西三河の松平氏の勢力下になるが,1560年(永禄3)今川義元が桶狭間の戦いで敗れると,城主定盈は今川氏を見限り家康に従ったため,義元の子今川氏真(いまがわうじざね)は野田城を攻めた。いったんは降伏した定盈はすぐに城を奪い返した。1572年(元亀3)には,三方ヶ原の戦いで家康を破った武田信玄が三河に侵入し野田城を攻める。武田軍はなかなか攻めあぐねたが,信玄は甲州金堀り人足(こうしゅうかなほりにんそく)を使って井戸の水を抜いたため水源を断たれ落城した。しかし,この野田合戦直後に信玄は京都へ向かうことをあきらめ甲州へ引き上げる。そして,その途中信州駒場(しんしゅうこまんば)で没したとされる。
<学習のポイント>
小さな城にもかかわらず戦国諸将の争奪の的になった野田城の地理的背景を調べてみる。また武田信玄が野田城内の笛の音に誘い出されて,鉄砲で撃たれたとする伝説も紹介したい。
<見学のポイント>
現在城跡は少しの土塁(どるい)が残っている。また信玄が撃たれたとする伝説の場所を示す説明板などが見られる。
<参考資料>
「新城市誌」 「新城歴史ばなし」 「東三河の歴史」 「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先>
新城図書館(ふるさと情報館) 0536ー23ー2333
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