一里山の一里塚(いちりやまのいちりづか) <時代>江戸時代 <地域>東三河
東細谷一里塚 復元された一里塚
豊橋市東細谷一里塚 二川宿東の一里塚跡石碑

<所在地> 豊橋市東細谷町一里山 (JR豊橋駅より豊鉄バス二川線一里山行き下車1分)

<概要>
  江戸幕府は,江戸を中心とした街道を整備した。そして,街道の両側に並木を植え,一里塚を築いた。一里塚は,日本橋を起点に三十六町を一里(約4km)ごとに街道に塚を築き,榎(えのき)や松を植えたもので,旅人が日本橋からの距離を知るほかに,休息や人馬の駄賃銭(だちんせん)支払いの目安にされた。 この地方では,白須賀(しらすか・静岡県湖西市)と二川(ふたがわ)間に二箇所,二川と吉田(豊橋市)間に二箇所,吉田と御油(ごゆ・豊川市)間に三箇所設けられたが, 道路の拡張工事などで失われ,ここ細谷(ほそや)の一里塚も北側の部分が残っているだけである。日本橋から七十一里の地点にある。 一般的には五間四方(9m四方)の大きさだといわれているので,東西11m,南北14m,高さ3mのこの一里塚は,比較的大きい塚と言える。

<学習のポイント>
  幕府による中央集権政策の一環として,五街道は道中奉行の支配や監督下に置かれた。こうした視点から,松並木や宿駅とともに一里塚の意味を考えてみよう。また,江戸時代の交通路とその役割について考えてみよう。

<見学のポイント>
  二川宿の東の外れには一里塚址の石碑がある。「江戸日本橋より72里」と刻まれている。あわせて見学しながら,東海道を歩いてみよう。

<参考資料>
  「豊橋市史」「東三河の歴史」「豊橋の史跡と文化財」

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