江戸幕府は,江戸を中心とした街道を整備した。そして,街道の両側に並木を植え,一里塚を築いた。一里塚は,日本橋を起点に三十六町を一里(約4km)ごとに街道に塚を築き,榎(えのき)や松を植えたもので,旅人が日本橋からの距離を知るほかに,休息や人馬の駄賃銭(だちんせん)支払いの目安にされた。
この地方では,白須賀(しらすか・静岡県湖西市)と二川(ふたがわ)間に二箇所,二川と吉田(豊橋市)間に二箇所,吉田と
御油(ごゆ・豊川市)間に三箇所設けられたが, 道路の拡張工事などで失われ,ここ細谷(ほそや)の一里塚も北側の部分が残っているだけである。日本橋から七十一里の地点にある。
一般的には五間四方(9m四方)の大きさだといわれているので,東西11m,南北14m,高さ3mのこの一里塚は,比較的大きい塚と言える。