山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)  <時代>戦国時代  <地域>東三河
長篠城址全景 亀山城址

<関係地>
 亀山城    新城市作手清岳字城山
 (JR飯田線新城駅下車豊鉄バス高里行き清岳下車徒歩5分)
 長篠城    新城市長篠字市場(JR飯田線長篠城駅下車徒歩8分)
 田峯城    北設楽郡設楽町大字田峯字城
 (JR飯田線本長篠駅下車豊鉄バス田口行き田峯下車徒歩20分)

<概要>
 山家三方衆とは,戦国時代,東三河東北部(新城市、北設楽郡)の奥三河を居城とした弱小豪族たちで,作手・亀山城の奥平氏,田峯城の菅沼氏,長篠城の菅沼氏をいう。当時,奥三河は駿河の今川氏,甲斐の武田氏が進出し,岡崎の松平(徳川)氏や尾張の織田氏を巻き込んだ複雑な情勢であった。
 こうした情勢の中,彼らは自家の勢力拡大や存続をかけて,めまぐるしく主従関係を変えていった。ある時は,親子・兄弟が敵味方に分かれて戦うという悲劇も生まれた。関ヶ原の戦い以後,田峯,長篠の菅沼氏は没落し,長篠の戦い当時,長篠城主であった奥平氏は,その時の功績によって転封を繰り返し,最終的に九州中津に移り,10万石の領主となった。
<学習のポイント>
 戦国時代の東三河東北部(奥三河)の情勢を調べ,地元の豪族たちのとった行動を調べてみよう。特に作手の奥平氏の行動は興味深い。
<見学のポイント>
 山家三方衆の活動した奥三河地方は,長篠の戦いなど戦国時代の舞台となった地域であり,史跡をめぐりながら彼らの生き方について考えてみよう。
<参考資料>
 「東三河の歴史」「図説東三河の歴史」「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先>
 長篠城址史跡保存館 0536-32-0162

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