長篠城跡(ながしのじょうあと) <時代>戦国時代 <地域>東三河
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長篠城址史跡保存館 |
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<所在地> 新城市長篠字市場22ー1(JR飯田線長篠城駅下車徒歩10分)
<概要>
長篠城は,1508年(永正5)年菅沼元就(すがぬまもとなり)によって築かれた。菅沼氏は田峯(だみね)の菅沼氏と作手(つくで)の奥平(おくだいら)氏と共に山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)と呼ばれ,団結して奥三河での勢力維持に努めていた。1573年(元亀3)武田信玄が死ぬと家康が当時武田方であった山家三方衆を分裂させて長篠城を手に入れ,作手の奥平貞昌(おくだいらさだまさ)を城主に任命し,武田軍に備えた。1575年(天正3)5月8日信玄の子武田勝頼は2万5千の兵を率いて長篠城を攻めた。長篠城は豊川の上流(寒狭川)と宇連川(うれがわ)との合流点の崖上に築かれており,自然の地形に守られていたが武田軍も城の食糧を断つ兵粮攻め(ひょうろうぜめ)を行ったため,鳥居強右衛門(とりいすねえもん)を岡崎に送り,織田信長・徳川家康の連合軍に救援を頼むこととなる。そして,この織田・徳川連合軍と武田軍の決戦が有名な長篠の戦いである。
<学習のポイント>
長篠城は,教科書でも取り上げられている有名な長篠の戦いのきっかけとなった城であることを紹介し,その後の戦国史をぬりかえる鉄砲の使用が行われたこの戦いについても調べてみるとよい。
<見学のポイント>
現在,城跡には長篠城址史跡保存館があり見学できる。長篠合戦史はもとより,武田氏や織田氏の戦国史を写真やパネルで展示している。
<参考資料>
「鳳来町誌」 「長篠の戦い」 「東三河の歴史」 「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>
長篠城址史跡保存館 0536-32-0126
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