本文1(古本説話集)
(講談社学術文庫『古本説話集 上』による)
今は昔、赤染衛門といふ歌よみは、
恋しきに難波の事もおぼほえずたれ住吉のまつといひけん
返事、
名を聞くにながゐしぬべき住吉のまつとはまさる人やいひけむ
逢ふ事の有りがたかりければ、思ひわびて、稲荷の神主のもとへ通ひなどしけれど、心にも入らざりけり。「すぎむらならば」など詠みたるは、その折の事なるべし。
匡衡、尾張の守などになりにければ、猛になりて、え厭ひもはてず、挙周(たかちか)など産みてければ、さいはひ人といはれけり。尾張へ具して下る道にて、守ひとりごつ、
十日の国にいたりてしがな
赤染、
都出でて今日九日になりにけり
本文2(紫式部日記)
(新潮社『新潮日本古典文学集成 紫式部日記』による)
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたのざえある人、はかない言葉のにほひも見えはべるめり。歌は、いとをかしきこと、ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌よみざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしきひとふしの、目にとまるよみそへはべり。それだに、人のよみたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、口にいと歌のよまるるなめりとぞ、見えたるすぢにはべるかし。はづかしげの歌よみやとはおぼえはべらず。
丹波の守の北の方をば、宮・殿などのわたりには、匡衡衛門とぞいひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌よみとて、よろづのことにつけてよみちらさねど、聞こえたるかぎりは、はかなきをりふしのことも、それこそはづかしき口つきにはべれ。
ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えもいはぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、にくくもいとほしくもおぼえはべるわざなり。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、まな書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬことおほかり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
本文3(今昔物語集)
(小学館『新編 日本古典文学全集 今昔物語集』による)
今昔、大江
其国ニ下ケルニ、母ノ赤染ヲモ具シテ行タリケルニ、挙周不思懸身ニ病ヲ受テ、日来煩ケルニ、重ク成ニケレバ、母ノ赤染歎キ悲デ、思ヒ遣ル方無カリケレバ、住吉明神ニ御幣ヲ令奉テ、挙周ガ病ヲ祈ケルニ、其ノ御幣ノ串ニ書付テ奉タリケル、
カハラムトヲモフ命ハオシカラデサテモワカレンホドゾカナシキ
ト。其ノ夜遂ニ愈ニケリ。
亦、此ノ挙周ガ官望ケル時ニ、母ノ赤染鷹司殿ニ此ナム読テ奉タリケル、
オモヘキミカシラノ雪ヲウチハラヒキヱヌサキニトイソグ心ヲ
ト。御堂此歌ヲ御覧ジテ、極ク哀ガラセ給テ、此ク和泉守ニハ成サセ給ヘル也ケリ。
亦、此ノ赤染、夫ノ匡衡ガ稲荷ノ禰宜ガ娘ヲ語ヒテ愛シ思ヒケル間、赤染ガ許ニ久ク不来リケレバ、赤染此ナム読テ、稲荷ノ禰宜ガ家ニ匡衡ガ有ケル時ニ遣ケル、
ワガヤドノ松ハシルシモナカリケリスギムラナラバタヅネキナマシ
ト。匡衡此レヲ見テ、「恥カシ」トヤ思ヒケム、赤染ガ許ニ返テナム棲テ、稲荷ノ禰宜ガ許ニハ不通ハ成ニケリ、トナム語リ伝ヘタルトヤ。
作者 赤染衛門(あかぞめえもん)
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