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「文学者の愛した蒲郡」(3)

佐佐木信綱歌碑 歌人や俳人も、多く蒲郡を訪れています。歌人佐佐木信綱は,『万葉集』の研究でも名高いですが、中世の歌人藤原俊成を殊に敬っていました。三河守であった俊成ゆかりの竹島を何度も訪れ、短歌に歌っていることで知られます。次に挙げる歌は竹島の歌碑にもなっています。


  歌人(うたびと)の国の司(つかさ)のみたまこもり千歳さかゆるこれの竹島

        佐佐木信綱歌碑

 同 じく歌人の春日井建は、俊成短歌大会の選者を長く務めました。短歌結社「中部短歌会」主宰で、第34回迢空(ちょうくう)賞を受賞しています。19歳の時に「未青年」50首を発表、自己愛をテーマにした早熟な歌風は、多くの話題を呼びました。三島由紀夫の絶賛は記憶に残ります。蒲郡の開放的な景観を愛し、歌人でもある母政子と、度々蒲郡に逗留(とうりゅう)をしています。

 俳人としては、高濱(たかはま)虚子の「春の波小さき石にちょっと躍り」がよく知られています。昭和14年に第1回日本探勝会で詠まれたものです。

 また虚子の弟子の岡田耿陽(こうよう)は、織物販売を生業としながら俳句を嗜(たしな)んでいましたが、昭和元年(1926)、知人の紹介で高濱虚子の門に入りました。以来、商売の関係で上京する度に虚子を訪ね、寝食を忘れるほどに俳句に熱中し、彼の句は、昭和2年(1927)には早くも「ホトトギス」の巻頭を飾っています。日本に蒲郡あり、蒲郡に耿陽ありとして、その名を高め東三河のホトトギス系を支えたことでも知られます。「漂へるもののかたちや夜光虫」の句は竹島に句碑となっています。

岡田耿陽句碑
岡田耿陽句碑


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