無住
(むじゅう)


 「沙石集」の編者、無住(嘉禄2年 1227~正和元年 1312)は、鎌倉時代中期の僧である。字は道暁(どうぎょう)。一円房(いちえんぼう)ともいう。
 鎌倉で生まれたとされ、18歳で常陸の法音寺で出家。その後、鎌倉や奈良の諸寺で学び、弘長2年(1262)尾張国木賀崎(現在の名古屋市東区矢田町)の長母寺(ちょうぼじ)に入った。やがて、寺の住持を譲られた無住は、寺を臨済宗に改め再興、以後50年間のほとんどをここで過ごし、民衆教化と寺院経営に専念した。その間に「沙石集」をはじめ「聖財集(しょうざいしゅう)」「雑談集(ぞうたんしゅう)」などを著した。

 


愛知県との関わり

無住が「沙石集」を書いた長母寺(名古屋市東区矢田町)は、矢田川沿いにある閑静な雰囲気のある寺である。本堂西隣の開山堂には、木像無住和尚坐像がまつられており、10月10日の開山忌に開帳されている。なお、その複製が名古屋市博物館に常設展示されており、手軽に見ることができる。
 また、現在も伝えられる「尾張万歳(おわりまんざい)」は、無住が寺の雑役をしていた味鋺(あじま)村(現在の名古屋市北区)の農民に、法華経を分かりやすく教えたのが起源とされている。(「木賀崎略縁起」)
   

名古屋市博物館

無住坐像(複製)の収められている名古屋市博物館



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 作者 無住

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