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頼 山陽
(らい さんよう)
安永9年(1780)〜 天保3年(1832)。広島藩頼春水の長子で、江戸時代後期の歴史家、漢詩人、文人である。名は襄(のぼる)、字は子成、通称を久太郎(ひさたろう)といい、山陽又は三十六峯外史と号した。江戸へ遊学して帰郷した後に脱藩、そのために監禁されたことがあるが、その時に『日本外史』の構想が立てられた。30歳の時に備後の塾に学頭として迎えられたが、すぐに辞して京都へ移り、天保3年(1832)に53歳で没するまで塾を開いて門人に教授した。
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作者 頼山陽
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