横井也有 (よこいやゆう)
元禄15年 (1702)〜天明3年(1783)。江戸中期に活躍した名古屋の俳人。本名時般(ときつら)。 別号に野有(やゆう)、知雨亭(ちうてい)、半掃庵(はんそうあん)、蘿隠(らいん)など。 当時の俳人の大半が町人であったのに対し、也有は、家禄千石(後に千二百石)の尾張藩家臣横井孫右衛門家の第六代目当主であり、寺社奉行や御用人などの要職に就いていた。 也有は若いころ貞門俳諧を学び、美濃派の人々と交わったが特に師とする人はなかった。 俳風は謡曲・書画・詩歌・狂歌など多芸多能な教養人らしく軽妙洒脱であるが、芭蕉に見られるような風雅のまことには欠けているというのが一般的な批評である。 健康を害し53歳で前津(現在の名古屋市中区上前津)の地に隠居し、趣味三昧の生活に入る。俳文を得意とした。その代表作が「鶉衣」である。 句集に「蘿葉集」(らようしゅう)「垤集」(ありづかしゅう)がある。享年82歳。 愛知県との関わり 「鶉衣」の作者横井也有は、主君の参府に随行して江戸に参勤するほかは終生名古屋に暮らした。隠居後も長旅に出ることもなく、前津(名古屋市中区上前津)の知雨亭(ちうてい)で閑雅な生活をした。也有の作品の多くはこの地で作られたものである。
也有の隠居地 知雨亭跡 |
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