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作者 新美南吉

 新美南吉は大正2年(1913)、愛知県知多郡半田町 (現在の愛知県半田市) に、畳職人渡辺多蔵・りゑの次男として生まれる。本名正八。大正6年(1917)、生母を亡くす。大正8年(1919)、父親が志んと再婚。同年弟益吉が誕生。大正10年(1921)7月、生母の実家に養子に行き新美姓となるが、同年12月には再び生家で暮らすようになる。
 大正15年(1926)半田中学へ進学。中学時代、さかんに童話・童謡を創作し雑誌に投稿する。昭和6年(1931)、中学卒業後地元の小学校の代用教員となる。代用教員を辞した後「ごん狐」が『赤い鳥』へ掲載される。
 昭和7年(1932)、東京外国語学校へ入学。児童文学関係者と交流を深める。卒業後、東京で就職するが、体調を崩して帰郷し、河和第一尋常高等小学校の代用教員となる。3か月余りの代用教員生活の後、飼料会社へ就職。
 昭和13年(1938)安城高等女学校の教師となる。安定した生活を送り、創作活動も充実したものとなった。昭和16年(1941)『良寛物語 手まりと鉢の子』出版。昭和17年(1942)童話集『おじいさんのランプ』(原題は『おぢいさんのランプ』)出版。
 昭和18年(1943)2月病気のため女学校を退職。3月22日永眠。童話集『牛をつないだ椿の木』、『花のき村と盗人たち』は、南吉没後の同年9月に発行された。
 半田市には新美南吉記念館が建てられており、そこでは彼とその作品について詳しく知ることができる。

【参考】新美南吉記念館公式ホームページ

新美南吉の生家
新美南吉の生家


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