本文(抜粋)
ついに、みんなが太郎左衛門のうそのため、ひどいめにあわされるときがきた。それは五月のすえのよく晴れた日曜日の午後のことであった。
なにしろ場合がわるかった。みんなが――というのは、徳一君、加市君、兵太郎君、久助君の四人だが――たいくつでこまっていたときなのだ。
麦畠(むぎばたけ)は黄色になりかけ、遠くからかえるの声が村の中まで流れていた。道は紙のように白く光を反射し、人はめったに通らなかった。
みんなはこの世があまり平凡なのにうんざりしていた。どうしてここには、小説のなかのように出来事がおこらないのだろう。
久助君たちはなにか冒険みたいなことがしたいのであった。あるいは英雄のような行為をして、人びとに強烈な感動をあたえたいのであった。たとえば、いまその道の角を某国(ぼうこく)のスパイが機密(きみつ)文書を、免状(めんじょう)のようにまいて手にもってあらわれたとしたら、どんなにすばらしいだろう。
「スパイ待て!」とさけびながら、みんなどこまでも追ってゆくだろう。たといそのときスパイがピストルをぶっぱなして、こちらが道の上にばったりたおれるとしても、ちっともかまやしないのだ。
そう思っているところへ、その道角から太郎左衛門がひょっこりすがたをあらわしたのである。そしてかれはまっすぐみんなのところへくると、眼をかがやかせていった。
「みんな知っている? いつかぼくらが献金(けんきん)してできた愛国号がね、新舞子(しんまいこ)の海岸にいまきていて、宙返りやなんか、いろんな曲芸をしてみせるんだって。」
なにかできごとがあればいいと思っていたやさきだから、みんなは太郎左右衛門のことばだったけれどすぐ信じてしまった。そしてまた、これはまんざらうそでもなさそうだった。みんなが二銭(にせん)ずつ献金をしたことはほんとうだし、新舞子の海岸には、その愛国号ではないにしても、よく飛行機がきていることは、夏、海水浴にいった者ならだれでも知っているからである。
みにいこう、ということにいっペんで話がきまった。新舞子といえば、知多半島のあちら側の海岸なので、峠(とうげ)を一つこしてゆく道はかなり遠い。十二‐三キロはあるだろう。しかしみんなのからだのなかには、力がうずうずしていた。道は遠ければ遠いほどよかったのだ。
太郎左衛門もくわえて一行(いっこう)はすぐその場から出発した。家へそのことをいってこようなどと思うものはひとりもなかった。なにしろからだはつばめのように軽かった。つばめのように飛んでいってつばめのように飛んで帰れると思っていたのである。
とんだり、かけたり、あるいは、「帰りがくたびれるぞ。」などとかしこそうにおたがいを制(せい)しあってしばらくは正常歩(せいじょうほ)で歩いたりして、すすんでいった。
野にはあざやかな緑の上に、白い野ばらの花がさいていた。そこを通るとみつばちの翅音(はおと)がしていた。白っぽい松の芽が、におうばかりそろいのびているのもみていった。
半田池(はんだいけ)をすぎ、長い峠道(とうげみち)をのぼりつくしたころから、みんなは沈黙がちになってきた。そしてもしだれかがしゃべっていると、それがうるさくてはらだたしくなるのであった。知らないうちに、みんなのからだにつかれがひそみこんだのだ。
だんだん、みんなはつかれのため頭のはたらきがにぶってきた。そしてあたりの光がよわったような気がした。じつさい、日もだいぶん西にかたむいていたのだが。それでも、もうひきかえそうというものはだれもなかった。まるで命令をうけているもののように先へすすんでいった。
そして大野の町をすぎ、めざす新舞子の海岸についたのは、まさに太陽が西の海にぼっしようとしている日ぐれであった。
五人はくたびれて、みにくくなって、海岸に脚(あし)をなげだした。そしてぼんやり海のほうをみていた。
愛国号はいなかった。また太郎左衛門のうそだった!
しかしみんなは、もううそであろうがうそでなかろうが、そんなことは問題ではなかった。たとい愛国号がそこにいたとしても、みんなはもうみようとしなかったろう。
つかれのためににぶってしまったみんなの頭のなかに、ただ一つこういうおもいがあった。――
「とんだことになってしまった。これからどうして帰るのか。」
くたくたになって一歩も動けなくなって、はじめて、こう気づくのは、分別(ふんべつ)がたりないやりかたである。じぶんたちが、まだ分別のたりない子どもであることを、みんなはしみじみ感じた。
とつぜん「わッ」とだれかなきだした。森医院の徳一君である。わんぱくものでけんかの強い徳一君がまっさきになきだしたのだ。するとそのまねをするように兵太郎君が「わッ」とおなじ調子でなきだした。久助君もそのなきごえをきいているとなきたくなってきたので、「うふうふン」とへんななきだしかただったが、はじめた。つづいて加市君がひゅっと息をすいこんで「ふえーん」とうまくなきだした。
みんなは声をそろえてないた。するとみんなはじぶんたちのなき声の大きいのにびっくりして、じぶんたちはとりかえしのつかぬことをしてしまったと、あらためて痛切(つうせつ)に感じるのであった。
そして四人はしばらくないていたが、太郎左衛門は、ひろった貝がらで足もとの砂の上にすじをひいているばかりで、なきださないのであった。
ないていない人のそばでないているのは、ぐあいのわるいものである。久助君はなきながら、ちょいちょい太郎左衛門のほうをみて、太郎左衛門もいっしょになけばよいのに、と思った。こいつはなんというへんな、わけのわからんやつだろう、とまたいつもの感を深くしたのである。
陽(ひ)がまったくぼっして、世界は青くなった。最初に久助君のなみだがきれたのでなきやんだ。すると加市君、兵太郎君、徳一君という、なきだしとはぎゃくの順で、せみが鳴きやむようになきやんでいった。
そのとき太郎左衛門がこういった。
「ぼくの親せきが大野にあるからね、そこへゆこう。そして電車で送ってもらおう。」
どんな小さな希望にでもすがりつきたいときだったので、みんなはすぐたちあがった。しかしそれをいったのが、ほかならぬ太郎左衛門であることを思うと、みんなはまた力がぬけるのをおぼえたのである。もしこれが、だれかほかのものがいったなら、どんなにみんなは勇気をふるいおこしたことだろう。
やがて、大野の町にはいったとき、みんなは不安でたまらなくなったので、
「ほんとけ、太郎左衛門?」
となん度もきいた。そのたびに太郎左衛門は、ほんとうだよ、と答えるのであった。が、いくらそんな答えをえてもみんなは信じることはできなかった。
久助君も太郎左衛門をもはや信じなかった。――こいつはわけのわからぬやつなのだ、みんなとはものの考えかたがまるでちがう、別の人間なのだ、と思いながら、みんなにたちまじっている太郎左衛門の横顔をするどくみていた。すると、太郎左衛門の横顔は、そっくりきつねのようにみえるのであった。
町の中央あたりまでくると太郎左衛門は、
「ううんと、ここだったけな。」
などとひとりごとしながら、あっちの細道(ほそみち)をのぞいたり、こっちの露地(ろじ)にはいったりした。それをみるとほかの四人はますますたよりなさを感じはじめた。また太郎左衛門のうそなのだ。いよいよ絶望なのだ。
しかしまもなく太郎左衛門は、ひとつの露地からかけだしてくると、
「みつかったから、こいよ、こいよ。」
とみんなをまねいたのである。
みんなの顔に、暗くてよくはみえなくっても、さアっと生気(せいき)の流れたのがわかった。足が棒のようにつかれているのもわすれて、みんなはそっちへ走った。
いちばんあとからついてゆきながら、久助君は、だが待てよ、と心の中でいった。あまり有頂天(うちょうてん)になると、幸福ににげられるという気がしたからであった。なにしろあいては太郎左衛門なのだから、まにうけることはできないはずだ。
そう考えると、またこんどもうそのように久助君には思えるのであった。
そして久助君は、時計をならべた明るい小さい店のところにくるまで、太郎左衛門をうたがっていた。しかしそこがほんとうに太郎左衛門の親せきの家だった!
太郎左衛門からわけをきいておどろいたおばさんが、
「まあ、あんたたちは……まあまあ!」
とあきれてみんなをみわたしたとき、久助君はすくわれた、と思った。するときゅうに足から力がぬけて、へたへたとしきいの上にすわってしまったのであった。
それから五人は時計屋のおじさんにつれられて、電車で岩滑(やなべ)まで帰ってきたのであったが、電車の中では、おたがいにからだをすりよせているばかりで、ひとこともものをいわなかった。やすらかさと、つかれが、からだも心も領していて、なにも考えたくなく、なにもいいたくなかったのである。
うそつきの太郎左衛門も、こんどだけはうそをいわなかった、と久助君はとこにはいったときはじめて思った。死ぬか生きるかというどたんばでは、あいつもうそをいわなかった。そうしてみれば太郎左衛門もけっしてわけのわからぬやつではなかったのである。
人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっている、わけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれもおなじ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところではみんなよくわかりあうのだ、ということが久助君にはわかったのである。すると久助君はひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音をききながら、すっとねむってしまった。
(ポプラ社 2005年10月刊 新美南吉著 『おじいさんのランプ』所収 「嘘」より抜粋)
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作者 新美南吉
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