日本の橋(裁断橋)


 『日本の橋』は、昭和11年(1936)に刊行された、卓越した審美主義に立脚した評論集である。 そのなかでも雑誌「文学界」に当初発表された評論「日本の橋」は、西洋における橋の意味と 日本の橋の特質を比較し、日本文化の特質を論じたものとして注目され、評論家保田與重郎の 地位を確立するきっかけとなった。    


愛知県との関わり

 保田與重郎の書いた『日本の橋』は、西洋と比較しながら、日本の橋々について論じたものである が、その中に名古屋市熱田区にあった裁断橋についての叙述がある。その橋は、戦国時代に初陣で戦 死した堀尾金助の母が、わが子の供養にと改修したものである。その後、川の埋め立てに伴って橋は 取り壊された。現在は熱田区の元の場所には縮小されたものが、そして堀尾金助の出生地大口町には 再現されたものがある。なお擬宝珠の実物は名古屋市博物館に保管されている。


堀尾金助と裁断橋(熱田区)外部リンク


大口町の堀尾跡公園に再現された裁断橋

大口町の堀尾跡公園に再現された裁断橋


熱田区から移設された裁断橋の欄干

熱田区から移設された裁断橋の欄干



教材化のヒント

堀尾金助の母親の文章は短いが、読む人の心を強く揺さぶる。仮名書き文は平仮名が多くやや読み にくく、漢文はそのままでは読解できない。しかし並べてみることで、分かりやすくなる。それを鑑賞 ・解釈した保田與重郎の文章もまた名文であるので、擬宝珠の銘文と併せて生徒に読ませることで、理 解を深めることができるのではないか。


    身に付けさせたい力 
    ・擬宝珠の文章に表現されている母の強い情念を読み取る力。
    ・古文を鑑賞・解釈した現代の文章を読み味わう力。



この教材の魅力

『日本の橋』は、『尾張名所図会』にも登場した熱田区の裁断橋をテーマにした文章であり、出陣 して帰らなかった堀尾金助の供養に橋が造られたことは、名古屋ではよく知られた話である。橋の擬宝 珠に刻まれた母親の文章、銘文はそれ自体が簡潔にして力強く、鑑賞に値するものである。またそれを 鑑賞・解釈した保田與重郎の文章も情理を備えた名文である。


尾張名所図会  「姥堂 裁断橋 呼続浜旧蹟」

尾張名所図会  「姥堂 裁断橋 呼続浜旧蹟」
(愛知県図書館所蔵)



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 作者 保田與重郎

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