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雨 蛙


(尾籠(びろう)ではあるが)僕が便所で蹲(しゃが)んで居ると、
死んだ子供の姿が眼に浮いて来る。
僕は下の方に付いて居る硝子障子の毀(こわ)れた骨を見て居るが、
これは死んだ子供が外を見ようとして足の親指にかけて折つたのだ。
彼が死んだ時弟の子供は四歳ばかりであつたが、
今は十歳にもなつて小学の二年生だ。
だが死んだ子供はいつも八歳で、
『漕げ漕げ漕げや』幼稚園で覚えた歌の声が、
便所で蹲んで居る僕の耳に響いて来る。
僕はなんの気無しに硝子障子を開ける、
そこに八手が一本植わつて居て、
黒ずんだ大きな葉の上に雨蛙が一疋ちよきんと坐つて居る。
どこかで見覚えのある恰好だと思ふと、
ああ、それは死んだ子供の裸姿であつた。

翌日僕が便所で蹲んで居ると、
死んだ子供の姿が眼に浮いて来る……
泥色になつた彼はぶるぶる震へて居る家内に抱かれて居る。
僕は一時の痙攣(けいれん)で直(す)ぐ呼吸をふき返すだらうと思つた。
ああ、愚かなるもの汝の名は詩人だ!
僕には生と死の異つた状態さへ見ることが出来なかつた
彼はその時已に死んで居たのだ。
僕は例の小さい硝子障子を開ける、
昨日の雨蛙は依然として今日も同じ八手の葉の上に坐つて居る。
見て居るうちに雨蛙が段々死んだ僕の子供のやうに
泥色して来ると思はれる。
僕は硝子障子をばつたり閉める……
死んだ子供が毀した骨が恐ろしく大きく見える。

三日目も同時刻に僕が便所で蹲んで居ると、
又もや死んだ子供の姿が眼に浮いて来る。
雨蛙の先生今日も居るだらうかと思つて、
例の小さい硝子障子を開けると、
不思議にも八手の同じ葉の上にちよきんと今日も坐つて居る。
『お前は……』と僕が声を出さうとすると、
雨蛙は飛びあがり、飛びあがるはずみに小便をしゆうとして
何処かへ姿を匿して仕舞つた。
しゆと小便をして!
さうだ、僕の死んだ子供もよくしゆと庭の松の木に小便をしかけたものだ。

(中央公論社 『日本の詩歌 12巻』による)


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作者 野口米次郎

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