坂部城址(さかべじょうし) <時代>室町時代 <地域>知多
坂部城址 本丸址

<所在地>知多郡阿久比町卯坂字栗之木谷32-4(名鉄河和線坂部駅下車,徒歩10分)
<概要>
 坂部城は久松定益(さだます)が築城した平城であり,当時は阿古屋城(あごやじょう),阿古居城(あぐいじょう)と呼ばれた。「尾張志」には,「坂部村にあり,其跡東西四十間南北五十間英比(あぐい)の城ともいふ。久松佐渡守菅原俊勝(ひさまつさどのかみすがわらとしかつ)の居城なり」と記されている。
 徳川家康の生母,於大(おだい)の方は,1547年(天文16)坂部城主久松俊勝のもとに再婚し,俊勝が岡崎城代として移るまで15年間在城した。その間,熱田や駿府(すんぷ)で人質の身であった徳川家康に,励ましの手紙や衣類を贈り続け,後の徳川家康の運命や人間形成に大きな影響を与えたと言われている。桶狭間の戦いを控えた1560年(永禄3)5月17日,於大の方と家康は,この地で16年ぶりの再会を果たした。 1577年(天正5)7月,城主の久松信俊(のぶとし)(俊勝の長男)は,織田信長の家臣であった佐久間信盛(のぶもり)に陥れられ,大阪四天王寺にて切腹,信盛の手勢によって城は攻められて落城,炎上したと伝えられている。

<学習のポイント>
 幼いころ,なぜ徳川家康が母親と別れなければならなかったのか詳しく調べてみよう。また,なぜ家康は,当時敵将であった織田信長の家臣久松氏の坂部城を訪ねたのか,家康の気持ちになって考えてみよう。

<見学のポイント>
 1988年(昭和63)7月,阿久比町の文化財に指定されている。場所は,阿久比町中央図書館の隣にある。現在は,城山公園として整備されている。

<参考資料>
 「阿久比町誌」

<問い合わせ先>

 阿久比町教育委員会 0569-48-1111
http://www.town.agui.lg.jp/ka/gakkyo/index.html

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