笠寺一里塚(かさでらいちりづか)  <時代>江戸時代  <地域>名古屋
笠寺一里塚

<所在地>名古屋市南区笠寺町  (名鉄名古屋本線本笠寺駅下車徒歩8分)
<概要>
名古屋市内に唯一残る一里塚が,笠寺に存在する。一里塚は,旅人の目印として江戸時代に街道沿いに設置された。
1601年(慶長6)に宿駅制が定められ五街道が整備されるにつれて,各地で一里塚が作られるようになった。一里塚は街道の両側に置かれ,多くの場合は榎(えのき)が植えられた。これには,「ええ木を植えろ」を「えのき」と聞き間違えたという説がある。
また,塚が残る笠寺には,地名にまつわる伝説が残っている。「奈良時代に漂着した流木で十一面観音像を彫った僧がいた。彼はお堂を建てて観音像をまつったが,いつしかお堂は荒廃していった。後の平安時代に近所の娘が,野ざらしとなっていた観音像に笠をかぶせ,お参りをするようになる。娘はやがて,藤原基経(ふじわらもとつね)の三男の妻となる。寺は藤原氏の援助で再建され,笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けられ,通称笠寺観音と呼ばれた。」というものである。

<学習のポイント>
江戸時代に日本橋(にほんばし)を起点に五街道が整備され,街道には一里塚をはじめ,2〜3里ごとに宿駅(宿場)が整備されたことを学習しよう。関連学習事項には,問屋場・本陣・関所などが挙げられる。

<見学のポイント>
一里塚を見た後に,尾張四観音(笠覆寺・荒子観音寺竜泉寺・甚目寺)の一つである笠覆寺へも足を伸ばそう。また近くの笠寺公園内の名古屋市見晴台考古資料館では,弥生時代から古墳時代の遺跡である見晴台遺跡(みはらしだいいせき)も学習することができる。

<参考資料>
「愛知県の歴史散歩 上」 「名古屋いまむかし」 「愛知県の歴史」

<問い合わせ先>
名古屋市南区役所 052−811−5161 

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