東印場町の一里塚(いちりづか)  <時代>江戸時代  <地域>尾張
一里山の一里塚 現在の瀬戸街道

<所在地> 尾張旭市東印場町一里山(名鉄瀬戸線旭前駅より徒歩5分)
<概要>
 江戸時代に,江戸を起点として五街道(東海道・中山道・日光道中・奥羽道中・甲州道中)やそれに付属する街道が整備され,街道沿いに一里塚が設置されていた。名古屋と瀬戸を結ぶ瀬戸街道にも,この一里塚が設けられた。大森村(名古屋市守山区)から一里の地点,今の八瀬の木にもあった。
<学習のポイント>
 一里塚は道路の両側に一里(36町・約4q)ごとに作った塚である。信長は分国内に一里塚を設置したと言われている。本格的には,家康が秀忠に命じて,江戸日本橋を起点とした東海道・中山道などに一里塚を作らせたことから普及する。目印として松や榎を植えた。全国にできた一里塚は,旅人の歩いた距離や乗り物の運賃の目安となった。
<見学のポイント>
 瀬戸街道を東に向かい砂川の信号を過ぎると瀬戸街道から分かれた細い道があるが,この道を「殿様街道」と呼んでいる。定光寺の源敬公(げんけいこう)(初代尾張藩主徳川義直)廟(びょう・偉人などの霊を祭った所)の参拝や東谷山方面の鹿狩りのために藩主が通行したところ,このように呼ばれるようになった。
<参考資料>
社会科副読本「尾張旭」・「尾張旭市史」
<問い合わせ先>
尾張旭市教育委員会

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