津島湊(つしまみなと)  <時代>戦国時代  <地域>尾張
津島湊の石碑 現在の天王川

<所在地> 津島市天王川公園内(名鉄津島線津島駅下車徒歩15分)
<概要>
 鎌倉時代の紀行文「海道記」に,「市腋(いちえ)を立ちて津島の渡しという所を舟にて下れば・・・・」という記述があるように,すでに東海道の交通の要地であったことが知られている。その津島湊の碑が,天王川公園内に設置されている。この地を重視したのが,戦国時代,まだ斯波家の家臣であった織田本家の一族にすぎなかった勝幡(しょばた)城主の織田信秀である。彼とその子信長は,この地の有力者と結んで,その経済力を背景に台頭していった。しかも交通の要衝を押さえたことにより,天下布武への足がかりの場ともなった。また政略上,この地の津島社を重視した。
 また,荘厳な天王祭りを信長も秀吉も楽しんだと伝えられている。
<学習のポイント>
 戦国時代のころまで交通の要地であった津島湊と織田氏の関係を学習する。なお,天王川は現在は堰き止められて池であるが,江戸時代までは,伊勢方面に向かう際に利用された大きな川であった。
<見学のポイント>
 津島湊の碑は,7月第4土曜日に行われる天王祭りの宵祭りにおける「まきわら船」通過のポイントとなる突端に設置してある。祭の様子に思いをはせながら,見学するとよい。なお,近くの津島神社は,ぜひ訪ねてほしい。
<参考資料>
「日本地名辞典 23 愛知県」
<問い合わせ先>
津島市教育委員会 0567-24-1111

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