蟹江城址(かにえじょうし)  <時代>戦国時代  <地域>尾張
蟹江城址の石碑 本丸井戸

<所在地> 海部郡蟹江町大字今字蟹江浦 (JR関西本線蟹江駅下車徒歩15分)

<概要>
 蟹江城は1429年頃(永享年間),北条時任(ときとう)が城塞を築いたのが初めと言われ,戦国時代には,本丸,二の丸,三の丸の三郭(さんかく)があり,大野・下市場,前田の三つの支城があった。しかし,1584年(天正12)に起きた蟹江合戦と翌年の大地震で壊滅し,現在は城址の石碑と本丸井戸が残るのみである。
 蟹江城を中心にして起きた蟹江合戦とは,長久手の戦い徳川家康に大敗を喫した羽柴秀吉の雪辱戦であり,尾張における制海権を確保し,織田信雄と家康の間を離反させるための戦いであった。滝川一益(かずます)を主将に九鬼(くき)水軍を伴い,蟹江城主佐久間正勝(まさかつ)の留守をあずかった前田長定(ながさだ)の内応により無事入城し,成功するように思えた作戦であったが,大野城主山口重政(しげまさ)は助力を拒み,城内では鈴木重安・重治兄弟らの抵抗に遭い,徳川・織田連合軍の反撃により,秀吉は敗退した。これ以後,秀吉は武力をもって家康を屈服させることを断念し,謀略戦に転ずる決意をした戦いであった。

<学習のポイント>
 尾張における制海権を確保するために,なぜ,蟹江城を舞台にしなければならなかったのか,当時の伊勢湾沿岸の海上交通について調べてみよう。
<参考資料>
 「蟹江本町・学戸散策マップ」(まちなみ探検隊発行)
 「蟹江の歴史と文化」(蟹江町歴史民俗資料館展示解説資料)
<問い合わせ先>
 蟹江町歴史民俗資料館 0567-95-3812

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