高月院 (こうげついん)  <時代>室町時代  <地域>西三河
高月院 松平東照宮

<所在地> 豊田市松平町寒ヶ入(名鉄三河線豊田市駅より車で約30分)
<概要>
 浄土宗本松山高月院は,寺伝によると1367年(貞治6),松平郷主であった松平太郎左衛門在原信重(のぶしげ)の庇護(ひご)を受けて創建された。在原信重の娘婿親氏(ちかうじ:松平氏始祖)が寛立上人に深く帰依し,本尊阿弥陀如来をはじめ堂塔すべてを寄進して,寺名を現在の高月院と改め,松平氏の菩提寺(ぼだいじ)としたと伝えられている。
 1602年(慶長7),徳川家康は寺領百石を寄進し厚遇している。1641年(寛永18)には三代将軍家光により本堂が再建されたとされる。高月院の住職は将軍の命で選任され,十万石待遇により東海道を籠で往復,人足8人,馬5匹の使役を許されていた。このように高月院は,江戸幕府・歴代将軍により将軍家先祖の菩提所として手厚く保護が加えられていた。
 本堂の左手奥に松平氏祖先の墓所がある。一段と高い石垣上に周囲を石製の塀で囲み,葵の紋の刻まれた扉がつけられている。中央が松平氏の始祖親氏の墓塔である。
 徳川家康の祖である松平氏は,伝承によると時宗の遊行僧が諸国を流浪中,松平郷に入り,土豪在原信重の末娘の婿となり還俗(げんぞく)して,松平親氏を名乗り,松平城を本拠としたのが始まりと言われている。
<学習のポイント>
 徳川家康と松平氏の関係や高月院に対する江戸幕府の手厚い扱いを学習する。 
<見学のポイント>
 1996年(平成8)に松平氏館跡・松平城址・大給城(おぎゅうじょう)址・高月院を合わせ「松平氏遺跡」として国指定文化財となった。
 松平東照宮(松平氏館跡)…松平城の居館,旗本松平太郎左衛門の居館を経て東照宮。
 松平城跡…東照宮から南東500m。松平親氏の根拠地となった室町時代の典型的山城。
 大給城跡…大給松平氏の居城。城郭の各遺構は,ほぼ完全に残されており,この地方では,最も貴重な山城址である。物見台からの眺望はすばらしい。
<参考資料>
 「豊田の文化財」(豊田市教育委員会)

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